その1:
アヂシキタカヒコネは、死人と間違えられてブチ切れました。「死人は穢れている」という、当時の思想は理解できます。奈良時代、道端に蛆が集った死体が転がってるのは、日常茶飯事だったでしょうから。
それではどうして、死人と間違えたワカヒコの親族を斬り殺さなかったのか?
妹の夫であり、友人でもあるワカヒコの喪屋を切り倒して蹴り飛ばすなんて、単なる八つ当たりですよ。強いて理屈を付ければ、
「お前が私とそっくりだったから、穢れた死人と間違われてしまった。
ワカヒコ、どっか行け!」
小学生以下の理屈しか思いつかない。とにかく、彼の行動がよく分かりません。
その2:
訳の分からない行動でブチ切れたアヂシキタカヒコネの十拳の剣は、別名「大量(おおはかり)」とか、「神度剣(かむどのつるぎ)」とも呼ばれています。彼の剣が、これだけの異名を持つのは何故か?
コトバンクによると「大量」には、度量が大きい/心が広いという意味があります。
「神度剣」とは神様の道具の剣、神様ほどの度合いを持った剣という意味でしょう。
とにかく特別な十拳の剣です。
その3:
自分の夫の喪屋を切り倒し、美濃国まで蹴り飛ばしたアヂシキタカヒコネを、妹のシタテルヒメは何故「その御名」と敬うのか?
その4:
夷振(ひなぶり)の歌。どうやら、飛び去って行くアヂシキタカヒコネを妹のシタテルヒメが褒め称えているようですが、その意味は全く不明。
とりあえず江戸時代の国文学者、本居宣長が書いた文をペーストしておきました。
尚この部分、シタテルヒメの名前が高比売命(タカヒメノミコト)となってるのは、
高日子(タカヒコ)の妹という意味を強調するものでしょう。
以前、オオクニヌシの嫁や子供たちを紹介すると長くなるので省略しましたね。この時も、シタテルヒメの名前は「高比売命」と書かれています。
その5:
最後に最大の謎。兄のアヂシキタカヒコネ、妹のシタテルヒメ。共にオオクニヌシの子供です。前述の通り、この2人の名前も省略しましたが、この時アヂシキタカヒコネの名前が「迦毛大御神(カモノオオミカミ)」と書かれてるんです。
はじめから「大御神」と書かれている神様は、アマテラス(天照大御神)と迦毛大御神、この2人だけなんです。
例外的にイザナギがスサノオと会話する時だけ、大御神に変身しましたね。
アマテラスはいいとして、何故アヂシキタカヒコネが大御神なのか?
大きな謎です。
が、謎だけではない。アメノワカヒコ事件で、いくつか分かった点もあります。
今更ですが、「アメノ〇〇、アマノ〇〇」という名の神様は、「高天原の神様」であることを意味します。
雉のナキメを射殺させた、天佐具売(アメノサグメ)。この神様、出自は一切語られてませんが、高天原から(おそらくアメノワカヒコと一緒に)やって来た神様であることが分ります。
そしてアメノワカヒコ。結論から言うと、殺されるために稗田阿礼が創作した神様ですよ。だからワカヒコの父、アマツクニタマの神が突然現れたんです。
前述のように葦原の中国に派遣されるのは、順番的にアマテラスとスサノオの誓約で生まれた3番目の神様、天津日子根命(アマツヒコネ)であるべきです。
策士オモイカネが初見の神様アマツクニタマの子供、アメノワカヒコを選んだのは、ワカヒコが殺されるという設定だったからです。
殺されるキャラという「結論」ありきで書かれてるから、ワカヒコの出自という「過程」が雑なわけ。しかしながらワカヒコは、「高天原の裏切り者」として殺されてますね。殺される理由が妙にリアル。人間臭いと感じませんか?
出雲神話は人間の物語であると、荒神谷遺跡/加茂岩倉遺跡が語ってます。私はワカヒコ事件に象徴される史実があって、そこに稗田阿礼が神話のベールをかけたと考えてます。
そうでなければ、高天原の神様どうしが殺しあうなんて場面を、稗田阿礼が創作できるわけがない。
とにかく、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた神様は、殺すわけにはいきません。アマテラスとスサノオから初めて生まれた神様なのですから。
アマテラスから1番目に生まれた、アメノオシホミミが芦原の中国に降りなかったのは当然。
アメノオシホミミの子供、ニニギノミコトが天皇のご先祖様となる設定なのですから、この時点でアメノオシホミミが葦原の中国に降臨するわけにはいきません。
(ネタバレになりますがニニギノミコトが、後で葦原の中国に降りてきます。これを「天孫降臨」と言います)
アマテラスから2番目に生まれたアメノホヒが、3年経っても戻ってこなかったのに何のお咎めも無かったのは、稗田阿礼があえてそのように設定したんです。
何と言っても、アメノホヒの子孫が出雲大社宮司、出雲国造になるのですから。
はじめに書いたように古事記は、
(1) それまでの天皇の系譜が記載された「帝紀」
(2) 当時の豪族たちが持っていた歴史を取りまとめた「旧辞」
に基づいて書かれてます。
古事記の中巻/下巻は(1)を基にして、まとめられた人代記(天皇記)。
上巻は、(2)を取りまとめた神代記。
どちらも稗田阿礼が、自分の頭に記憶したことを誦し、太安万侶(おおのやすまろ)が記録した。それが古事記。特に(2)は、旧辞(= 豪族たちの記録)を稗田阿礼が取りまとめて創作したんです。それが日本神話。但し、稗田阿礼も分からなかったことは当て字で神々を創作、その中に稗田阿礼が創作した神々も混ぜ込んだ。だから、意味の分かる神様と意味の分からない神様が混在することになった。
古事記の大枠が見えてきましたね。
そして夷振(ひなぶり)の歌。原文は、全て音仮名で書かれてます。
「阿米那流夜淤登多那婆多能宇那賀世流多麻能美須麻流美須麻流邇阿那陀麻波夜美多邇布多和多良須阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也」
句読点一切なし!
が、音仮名ですから、ひらがなで書かれていると思えばいい。
「あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなだまはや みたにふたわたらす あぢしきたかひこねのかみぞや」
これは、本居宣長の解釈に合わせて区切りました。
日本書紀は漢文で書かれてましたね。それを見れば、何か分かるかもしれない。
そう考えて、日本書紀の該当部分を検索してみました。
が、全く同じ。多少の「当て字」の違いはあれど、日本書紀も音仮名で書かれてました。
日本書紀にはこの歌を、
「葬儀に参加した人か、あるいはシタテルヒメのどちらかが歌った」
と書かれてます。さらにこの後、
「女の子が川に行って、その川の淵に網を張って魚を獲る」
と言うような歌が加筆されてます。
これ、日本書紀を取りまとめた舎人親王(とねりしんのう)も、夷振の歌の真意を分ってないですよ。葬儀に参加した人か、あるいはシタテルヒメのどちらが歌ったか分からないと、正直に書いてます。
歌の意味が分からなかったから、このように書いたのでしょう。さらに、川で魚を獲る歌まで加筆している。
おそらく、夷振の「み谷二渡らす」から創作したのでしょう。
(谷には川が流れてるはずだから、そこで魚を獲る歌を創作した)
日本書記は古事記の後に、天皇に奏上されたのだから、古事記の全てを包括してなければならない筈。その日本書紀が、
「葬儀に参加した人か、あるいはシタテルヒメのどちらかが歌った」
と謳ってます。念のため言っておきますが、古事記にはシタテルヒメ(=高比売命)が歌ったと、明確に書かれてます。
日本書紀(舎人親王)は古事記、特に夷振の歌を分ってないことが分かったことが大きな収穫です。