穢れと禊ぎ

さて、地上(葦原の中国)に戻ったイザナギは、

「あんなところに行って穢れてしまった。禊ぎをしなければ」

と、筑紫の日向(ひむか)、つまり九州に向かい、そこにあった川で禊ぎを行います。要するに、きれいな川に潜ったわけ。この時、20以上の神様が生まれますが例によって省略。

最後に左の眼を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右の眼を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗うと建速須佐之男(タケハヤスサノオ)が生まれました。
この3人の神様を「三貴神」と呼びます。

やっと聞いたことがある神様が現れました。が、気になることがあります。
天照(アマテラス)は、高天原を照らす太陽を意味します。
大御神(オオミカミ)とは神様の中の神様、God of Godという意味。
月読(ツクヨミ)は月を読む。この意味は、今のところ不明です。

そして建速須佐之男(タケハヤスサノオ)。通称、スサノオと呼ばれてます。
「建と速」には、何か意味があるのでしょうか?
そして須佐之男(スサノオ)、どうしてこの神様だけ音仮名になってるのでしょう?
細かいことが気になるのが、僕の悪い癖。

とにかくここで、話を整理しましょう。
天地創造から国生み神話が始まりました。そして、これから始まる神話の舞台設定が成されてます。

天界(高天原)、地上界(葦原の中国)、そして死者の国(黄泉の国)。黄泉の国は、根の堅洲国(ねのかたすくに)とも呼ばれます。黄泉の国と根の堅洲国の違いは、現時点では不明。とにかく黄泉の国/根の堅洲国から、死者が出てくるところが出雲。出雲って、何だか不気味ですねえ。

アマテラスとスサノオ

さて、三貴神が生まれたことに、イザナギは大いに喜びます。そして、

「アマテラスは高天原を治めなさい。ツクヨミは夜の国、スサノオは海を治めるのです」

しかしながらスサノオは、泣いてばかりいました。このため海は荒れ、山は枯れてしまいます。海とは、葦原の中国(地上界)の海。高天原に海は無かったはずです。

イザナギはスサノオに問いかけます。

「どうしてお前は、海を治めないのか?」
「根の堅洲国にいる、亡き母に会いたいのです」
「あのような、穢らわしいところに行きたいと言うのか?」
「はい」
「ならば、お前をこの国から追放する。出て行け!」

こう言ってイザナギは、淡海の多賀に隠居します。
イザナギが隠居した先は「淡海の多賀」。イザナギとイザナミが、2番目に生んだ「淡島」ではありません。近江の多賀と解釈されてます。

ここも大変興味深い。スサノオは、
「根の堅洲国にいる、亡き母に会いたいのです」
と言ってます。
「黄泉の国にいる、亡き母に会いたいのです」
とは言ってない。このため前述のように、黄泉の国と根の堅洲国の違いが分からないんです。さらに気になることがあります。

スサノオやアマテラス、ツクヨミは「イザナギの禊ぎ」から生まれましたね。イザナミからは生まれてない。それをどうしてスサノオは、

「根の堅洲国にいる、亡き母に会いたいのです」

と言ったのか?
これは、おそらく「穢れ」が関係しています。「死人 = 穢れている」という、当時(奈良時代)の思想が反映されてるんです。イザナミは死んで、黄泉の国の食物を食べて蛆が集ってましたね。黄泉の国は穢れてます。だからイザナギは、
「あんなところに行って穢れてしまった」
と、禊ぎを行いました。

「根の堅洲国にいる、亡き母に会いたいのです」
「あのような、穢らわしいところに行きたいと言うのか?」

「根の堅洲国も穢れている死者の国」という、舞台設定が成されてるんです。
しかしながら何故、スサノオがイザナミを「亡き母」と言ったのか、理由が分かりません。これは宿題として、後で考えてみましょう。

それから、
「お前をこの国から追放する」
原文には、しっかり「国」と書かれてます。外国へ行けという意味でしょうか。
とにかく奈良時代初期、「国」という自覚が確立していることが、はっきり分かります。

ところでもう1つ、気になることがあります。
イザナギは「伊邪那岐命」、イザナギノミコトと表記されてます。
ところがスサノオと会話する時だけ、「伊邪那岐大御神(イザナギノオオミカミ)」に変身するんです。
ここは建速須佐之男(タケハヤスサノオ)の「建速」と、何か関係がありそうですが、まだ推測の域を出ません。

とにかくイザナギから国外追放を命じられたスサノオは、国外追放されたくないと相談するために、高天原のアマテラスのところへ向かいます。

ズシーン!
ものすごい音が響き、山や川は動き、大地は震えました。
原文を読めば分りますが、すごい迫力です。スサノオが泣くだけで海は荒れ、山は枯れるのですから、歩けばどうなるか、ご想像ください。
イザナギがスサノオと会話する時だけ「大御神」に変身したのが分かる気がします。

ビックリしたのがアマテラス。

「きっとスサノオは高天原を奪おうと、やって来たに違いないわ!」

この時のアマテラスの心中お察しください。
歩くだけで山や川は動き、大地が震えるゴジラがやって来るんです。
急いで髪を解き、美豆羅(みずら:音仮名)にします。美豆羅(角髪)とは、弥生時代の男性の髪型。左右の耳のあたりを輪にして束ねた、あれです。ここから日本神話は、弥生時代をモチーフとしていることが分かります。要するに、アマテラスは男装したんですね。

そして左右の角髪と頭、左右の手、合計5つの勾玉(まがたま)の輪を巻き、背後に1000本の矢を、500本の矢を靫(うつぼ:矢を入れる細長い筒)に入れました。
弓を引き、いつでも撃てる体制を整え、力士の四股のように堅い庭を踏みしめます。
が、力が入り過ぎ!
太ももまで埋もれてしまいます。それでも土を雪のように蹴散らし、雄叫びを上げます。

「スサノオ、何しに来た!」

そうは言っても相手はゴジラ。弓矢で立ち向かうのは無謀ですよ、アマテラスさん。
スサノオは言います。

「いやいや、そう興奮しないでください。私はただ、姉さんに相談があるだけですから」
「何の相談だ!」
「実は、かくかくしかじかで、国外追放されたくないのです」
「そんな言い訳、信じられるか!」

この時のアマテラス、おそらく膝はガクガク震えてたと思います。

「それでは姉さん、ここは誓約(うけい)に委ねましょう」

誓約とは、誓いを立て、神に祈って天の判断を仰ぐこと(水木先生より)。
アマテラスがスサノオの十拳の剣を3つに折って噛み砕いて吹くと、多紀理毘売命(タキリビメ)、多岐都比売命(タギツヒメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)という、3人の女神様が生まれました。

次にスサノオが、アマテラスから受け取った5つの勾玉を噛み砕いて吹くと、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)という、5人の男の神様が生まれました。

「私の勝ちですね。私の心が清らかだったからこそ、私の剣から女の子が生まれたのです」

スサノオは、勝ちを宣言します。
ここで留意して欲しいことがあります。
アマテラスが吹いたスサノオの剣から、3人の女神様が生まれました。
スサノオが吹いたアマテラスの勾玉から、5人の男の神様が生まれました。
2人が生んだ、初めての神様です。
合計8人の神様のうち、何人かの神様が、後々重大な役割を担うことになることだけ覚えといて下さい。

コラム:アマテラスとスサノオの誓約
アマテラスは男の神様だったという説があることをご存じでした?
私自身、ネットで「アマテラスは男神だった」という記述を見たとき、否定できないなと思いました。実は、古事記には「アマテラスは女神である」と、明確に記載された箇所は無いんです。

しかしながらアマテラスとスサノオの誓約が、アマテラスは女神であることを明確に宣言しています。

「それでは姉さん、ここは誓約(うけい)に委ねましょう」

と意訳しましたが、原文は「各宇氣比而生子(それぞれ誓約によって子を生みましょう)」と書かれてます。この後、それぞれの持ち物を噛み砕いて吹いてます。
スサノオ(須佐之男)は、もちろん男の神様。仮にアマテラスが男神だったとしたら、男同士のアイテム(持ち物)を噛み砕いて吹いたことになりますね。そして合計8人の神様が生まれました。こんな、

ウホッ!
な神様、古事記には登場しません。そもそも同性どうしからは子供は生まれない。ここからアマテラスは女神だったことが分かります。
ところで、ツクヨミ(月読)は男性なのか女性なのか?
判断できる材料はありません。

 

スサノオの横暴

勝ち誇ったスサノオは、田んぼのあぜを壊したり、灌がい用の溝を埋めたり、神殿に糞をしたり、やりたい放題。文章では伝わりませんが、高天原でゴジラが暴れてるんですよ。

「大したことではありません。きっとスサノオには、何か考えがあるのです」

アマテラスは、黙認するしかありません。
ある時、アマテラスは機織る神殿(原文:忌服屋)に立ち寄ります。そして神々の衣服を織るよう、機織女(はたおりひめ)たちに命じます。
その時、神殿に現れたのはスサノオ。

ズシーン!ズシーン!
高天原を揺るがす、地響きが近づいてきます。

ズガーン!ガラガラッ…
スサノオは神殿の屋根に穴を開け、そこから馬を逆剥(さかはぎ)、尾の方から皮を剥いで投げ込みました。
驚いた機織女の一人は、梭(ひ:織機りに用いる器具)にホトを衝いて死んでしまいました。

「もう無理!」
アマテラスは、天石戸(あまのいわと:岩の洞窟)に引きこもってしまいました。
これが天岩戸隠れ。

アマテラス、よく頑張った!
父イザナギと約束した、高天原を治める責任。たった一人で神話界のゴジラに立ち向かったアマテラス。
もういい、誰にも遠慮することは無い。天石戸で心置きなく泣くがいい。

アマテラスが天石戸に引きこもったので、高天原も葦原の中国も真っ暗になりました。
このため八百万(やおよろず)の神々は、天安河(あめのやすかわ)という河原で会議を行います。
てか、おまいら、アマテラスが引きこもる前に会議しろよ!
スサノオのことはアマテラスに任せっきりだったクセに、いざ自分たちが困ると、これだもんなあ。

とにかくタカミムスビの子、思金神(オモイカネ)は思案します。
タカミムスビとは天地創造時、2番目に対生成した神様でしたね。その子、オモイカネは「策士」。後々、よく出てきます。

オモイカネはまず、常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせます。夜中にそんなことをされると騒音公害ですが、そんなことを言ってる場合ではない。
次に天金山(あめのかなやま)から鉄を取ってきて鍛冶師を呼んで、さらに石凝姥命(イシコリドメノミコト)に鏡を作らせます。
こうしてできたのが「八咫の鏡(やたのかがみ)」。ご存知「三種の神器」の一つです。

そして、玉祖命(タマノオヤノミコト)に「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を作らせます。これで、三種の神器の2つ目が生まれました。
八尺瓊勾玉とは、たくさんの勾玉に穴を開け、紐を通してネックレスにした、あれです。

それから天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトダマノミコト)という、2人の神様を呼び、占いを行います。
イザナギ/イザナミも行った、骨を焼いて入ったヒビから占う太占(ふとまに)。弥生時代から続く吉凶占いで、「骨卜(こつぼく)」と言います。ここからも日本神話は、弥生時代をモチーフとして創作された物語ということが分かりますね。

アメノコヤネとフトダマは、天香山(あまのかぐやま)の鹿を獲ってきて、「天のははか」という植物を燃やし、それで鹿の骨を焼いて占います。結果、榊(サカキ)が吉!
サカキとは、神社の神主が地鎮祭などを行うとき、白い紙を付けて手に持つ葉っぱ、あれです。この時の白い紙を、丹寸手(にきて)と言います。今は白い紙ですが、昔は青い布もあったらしい。

天香山(あまのかぐやま)のサカキの木を根こそぎ掘り起し、上部に八尺瓊勾玉を輪のように掛けます。
真ん中に八咫の鏡を取り付け、根っこには白い丹寸手/青い丹寸手をヒラヒラと垂らせます。
これで日本版クリスマス・ツリーのできあがり。
これをフトダマが、天石戸の前に置きます。
アメノコヤネは、祝詞を唱え始めます。
そして天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)が、岩戸の脇に隠れ立ちます。
これで全ての準備が整いました。