五穀誕生

スサノオが高天原を追放され、出雲の地に降りる前、空腹で彷徨ってました。
おそらく高天原のどこかだと思いますが、スサノオは大気津比売(オオゲツヒメ)の神に出会いました。オオゲツヒメ、本書では省略したイザナギ/イザナミが生んだ神様の1人です。生まれた時には「大宜都比賣神」と書かれていますが、細かいことは気にしなくていいと、太安万侶は断ってましたね。
スサノオはオオゲツヒメに言いました。

「腹が減ってるんだ、何か食わしてくれ」
「かしこまりました」

オオゲツヒメはいろんな料理を出し、スサノオを歓迎します。

「これはうまい!感謝する」

空腹のスサノオは、ガツガツ食い漁ります。
それにしても、何をどうやって調理してるんだ?
スサノオが台所を伺うと、そこには口と鼻から同時にゲロって、ウ〇コをして、吐しゃ物と排せつ物を料理として出している、オオゲツヒメがいました。
スカトロの神様まで出てくるとは、やれやれだぜ…

オラオラオラオラオラオラ――ッ!!
スサノオは、オオゲツヒメを切り刻みます。
すると、頭から蚕(かいこ)が、目から稲が、耳から粟(あわ)が、鼻から小豆が、ホトから麦が、尻から大豆が生まれました。
いわゆる「五穀の誕生」です。
解体される死体から食べ物が生まれる話は、ニューギニアからメラネシアにかけて多く見いだされるそうです。(歴史教科書より)

そしてカミムスヒの母心は、これらを取って種としました(原文:神產巢日御祖命 令取茲成種)。

考察:オオゲツヒメ
この部分、個人的には非常に重要なことが書かれていると思ってます。少々長くなりますが、お付き合いください。

五穀誕生の神様と解釈されるオオゲツヒメ。本書では省略しましたが、オオゲツヒメが登場するのは、ここが3回目。さらに、この後の出雲神話でも登場します。つまり、オオゲツヒメが登場するのは合計4回。
最初に現れたのは国生み神話。イザナギ/イザナミの国生み神話で、

『最初に生まれたのは、淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけのしま)。淡路島です。
次に生まれたのが伊予之二名島(いよのふたなのしま)、すなわち四国。』

と書きました。省略した四国を生む部分、細かくなりますが、原文では以下のように書かれてます。

次生伊豫之二名嶋:
次に伊予之二名島(いよのふたなのしま:四国)を生みました。

此嶋者身一 而有面四:
この島は身体は一つで顔は4つあります。

毎面有名:
それぞれの顔ごとに名があります。

故伊豫國謂愛(上)比賣(此三字以音下效此也):
よって伊豫國(いよのくに)は愛比賣/上比賣(えひめ)と言います(愛比賣と上比賣、この3文字は音仮名です)。

讚岐國謂飯依比古:
讚岐國(さぬきのくに)は飯依比古(いいよりひこ)と言います。

粟國謂大宜都比賣(此四字以音):
粟國(あわのくに)は大宜都比賣(おおげつひめ)と言います(宜都比賣、この4文字は音仮名です)。

土左國謂建依別:
土左國(とさのくに)は建依別(たけよりわけ)と言います。

お分かりでしょうか?
四国に存在する、

伊豫國 :伊予国
讚岐國 :讃岐国
粟國 :土左國阿波国
土左國 :土佐国

という4つの国に名前が付けられてますね。
古事記が書かれた奈良時代、四国に4つの国が存在していたのは間違いないでしょう。その中の粟國が、大宜都比賣(オオゲツヒメ)と名付けられた。

さらにこの後の神生み神話で、イザナギ/イザナミは大宜都比賣神を生んでいます。
つまりイザナギ/イザナミは、オオゲツヒメを2回生んだことになります。
どういうことでしょう?
1つだけヒントを見つけました。オオゲツヒメは合計4回登場すると書きましたね。順番に抜き出すと、

(1) 大宜都比賣
(2) 大宜都比賣神
(3) 大氣津比賣神
(4) 大氣都比賣神

こうなります。

(1)は四国の粟國に名付けられた
(2)はイザナギ/イザナミが生んだ神様
(3)はスサノオが切り刻んだ神様
(4)は後の出雲神話で登場

ご覧になってお分かりの通り、(1)だけ神様では無いですね。(2)から(4)までは、全て神様の名前。
(1)は粟國の名前です。国生み神話でイザナギ/イザナミが生んだのは、あくまでも伊予之二名島(いよのふたなのしま)、四国です。その中の粟國がオオゲツヒメと名付けられた。

スサノオがオオゲツヒメを切り刻んだ時、耳から粟(あわ)が生まれましたね。おそらく、この神話が紐づけています。
奈良時代、四国に粟國(あわのくに)が存在した。粟國と呼ばれたのだから、粟がたくさん収穫される国だったのかもしれない。とにかく奈良時代、既に存在していた粟國に名前を付けるとしたら、オオゲツヒメが自然でしょう。
つまり、オオゲツヒメは後付けの名前。ここからも、日本神話は奈良時代に創作された物語であることが分かります。

そしてカミムスヒの母心は、これらを取って種としました。
カミムスヒ、天地創造時、3番目に対生成した神様でしたね。その母心(原文:御祖(みおや))が、五穀を取って種としました。

なるほどなあ…
オオゲツヒメは、イザナギ/イザナミから生まれましたね。それをスサノオが切り刻んで、五穀が誕生してます。
アマテラスが、オオゲツヒメを切り刻むわけにはいかないでしょう。切り刻むのは神話界のゴジラ、スサノオしかいない。つまり、以下の疑問にたどり着きます。

何故、イザナギ/イザナミから直接五穀が生まれなかったのか?

答えは単純、すぐに分かりました。五穀は、人間が生んだものだからです。だから、イザナギ/イザナミは「人間が作った五穀」の基となるオオゲツヒメを生んだ。それをスサノオが切り刻んで、五穀が誕生した。
古事記、あるいは本書を読んでいけば分かりますが、カミムスヒは人間(正確には、芦原の中国の神々)の味方です。そんな神様の母心が、五穀を種とした。

人間が作った五穀、これを高天原の神様が直接生む訳にはいかないでしょう。ここまでの神話は、

「日本を取り巻く自然環境」

が書かれてるのですから。その自然環境を基にして、五穀を誕生させたのは人間です。
そこで、高天原から追放されたスサノオが選ばれた。スサノオが、オオゲツヒメという「イザナギ/イザナミから生まれた神」を切り刻もうがどうでもいい。全ては、高天原から追放されたスサノオが勝手にやったこと。
要するに、五穀誕生に1クッション入れたんです。

さらにこの部分、高天原から芦原の中国に、神話の舞台が移行する間に書かれてます。その隙間に、五穀が誕生した。それをカミムスヒの母心は「種」とした。要するに、

「五穀は高天原の神様が作ったものではないが、芦原の中国の人間が(五穀を)食べることができるのも、高天原の神様のおかげなのだ」

と、日本神話は語ってます。

ヤマタノオロチ退治

さて、いよいよ出雲の地に降り立ったスサノオ、そこは斐伊川の上流、「鳥髪山」の麓(ふもと)でした。鳥髪山とは、現在の船通山(せんつうざん)のこと。
その時、斐伊川の上流から箸が流れてきます。
箸が日本に入ってくるのは、遺跡から7世紀と考えられてますが、ここは神話。8世紀に創作された物語ということで、時代錯誤は無視しましょう。
スサノオは、

「箸が流れてきたということは、上流に誰かいるに違いない」

と思い、上流に行ってみます。
果たして、おじいさんとおばあさんが、若い娘を抱いて泣いてました。

「お前たちは誰だ?」

スサノオは聞きます。
おじいさんは答えました。

「私は足名椎(アシナツチ)、妻の名は手名椎(テナツチ)と申します。娘の名は、櫛名田比売(クシナダヒメ:櫛、その名は田んぼ)と申します」
「どうして泣いている?」
「私たちの娘は、元々8人おりました。 それが毎年、八岐大蛇(ヤマタノオロチ、原文:八俣遠呂智)がやってきて、食べられてしまいました。 今年また、その時がやって来てクシナダヒメが食べられるので、泣いている次第でございます」
「ヤマタノオロチ、どんな奴だ?」
「その目はホオヅキのように赤く、身体は一つで、八つの頭と八つの尾がございます。身体にはシダや檜(ひのき)/杉が生え、その長さは八つの谷、八つの尾根に渡るほど大きく、その腹は常に血で爛(ただ)れています」

神話界のゴジラ、スサノオの血が滾(たぎ)ってくるのは当然!

「よし、私がそのオロチを退治してやろう。但し、条件がある」
「何でございましょう?」
「その娘、クシナダヒメを私の嫁に貰う。それが条件だ」
「あなたさまは一体?」
「私はスサノオ、アマテラスの弟だ」
「畏れ多いことでございます。それでは娘を差し上げさせて頂きます」

クシナダヒメに選択の余地はありません。

さすがスサノオ!
オレたちにできない事を平然とやってのける。
そこにシビれる、憧れるゥ!

「心配するな、お前は私が守ってやる」

スサノオはクシナダヒメを櫛に変え、角髪(みづら)に刺しました。そして老夫婦に「八塩折(やしおおり)の酒」を用意させます。

コラム:八塩折の酒
八塩折(やしおおり)とは、塩を八回(=たくさん)噛んで酒にしたものです。
映画「君の名は。」で、主人公の女の子が巫女になって、米を噛んで酒にするシーンがあったでしょう。
あれをたくさん繰り返して造った、「とても強い酒」が八塩折の酒。
映画「シン・ゴジラ」のヤシオリ作戦は、ここからきています。

スサノオはまた、周囲に垣を廻らし、その垣に八つの門を作り、その門の先に八塩折の酒の入った酒樽を置かせます。
さすがアシナツチとテナツチ。年は取っても文字通り、スサノオの「手足」になって働きます。これで準備完了!
しばらく待っていると、やってきましたヤマタノオロチ。

何というデカさ!
スサノオの何十倍もある、文字通りの「怪物」です。
オロチはすぐに八つの門をくぐり、八塩折の酒を飲み始めます。
だんだんと酔いが廻って来たようです。オロチは寝てしまいました。

「今だ!」
スサノオは十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜き、オロチに斬りかかります。

ズバッ!バシュッ!
次々とオロチの首を斬り落とします。
斐伊川はオロチの血で、真っ赤に染まっていきます。
日本神話、屈指の名シーン!
まさに「ゴジラ VS キングギドラ」です。

「これで止めだ!」
スサノオは、オロチの尻尾に斬りかかります。

ガキーン!
「なっ、なんだ!?
剣が折れた!」
(正確には、刃が毀(こぼ)れた)

不思議に思って見てみると、オロチの尻尾から見たことも無い剣が出てきました。
これが「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」。(原文:草那藝之大刀)

スサノオの象徴である、3つ目の神器。これで三種の神器が出そろいました。スサノオは、草薙の剣をアマテラスに献上します。
これはストーリー上のご都合主義。スサノオが献上しなければ、アマテラスが三種の神器を揃えることができませんからね。もっとも伏線がありました。スサノオは、

「私はスサノオ、アマテラスの弟だ」

と、アシナツチとテナツチに言ってましたね。神代記における一番の神様は、もちろんアマテラス。従って、スサノオは遜って(へりくだって)、草薙の剣をアマテラスに献上する必要があったんです。つまりスサノオは、高天原から追放されたからと言って、アマテラスを恨んでないことを謳ってるんです。
そりゃそうだ。いっちゃん偉い神様を恨む神様がいると、ストーリー上困ります。
ちなみにこの部分を、

「オロチが象徴する出雲国をスサノオが退治、アマテラスに献上した」

と、解釈する研究者も少なくないようです。
しかしながらこれでは、この後の神話が繋がらない。これは古事記、あるいは本書を読み進めていくうちに分ります。

こうしてスサノオは、出雲の地に「須賀の京(すがのみやこ)」を造り、おじいさんとおばあさん、そしてクシナダヒメを迎え入れます。
「須賀」とは清々しいという意味。単なる当て字です。
その時、出雲には雲が立ち昇ってました。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

(たくさんの雲が出る その雲をたくさんの垣にしよう 妻を迎えた京 その京を取り囲む たくさんの垣にしよう)

日本で最初に和歌を詠んだのはスサノオです。
一見、清々しい歌に聞こえますが、果たしてどうでしょう?
雲が出ると書いて「出雲」。雲が出ると太陽を隠し、海は荒れ、山は枯れましたね。その雲が「八雲立つ」、たくさんの雲が出るんですよ。
そこに「黄泉比良坂」と、「黄泉の国からの出口」もあるんです。今でも島根県/鳥取県は「山陰」、山の陰と呼ばれてます。
私は今でも、出雲に何かしらの「畏れ」があると感じます。

考察:ヤマタノオロチ神話

私が初めてヤマタノオロチ神話に出会ったのは、たしか中学生の頃だったと思います。その時、

「変な神話だな」

と思いました。
高天原で、あれだけ傍若無人の限りを尽くしたスサノオが、葦原の中国に降りた途端、クシナダヒメを救う「正義のヒーロー」に変身するんです。ここに違和感を覚えました。
また、

「ヤマタノオロチとは、斐伊川のことだ」

と、先生に聞いたか、何かの本で読んだ記憶があります。が、そんなことはどうでもいい。それより斐伊川で水遊びしたり、花火大会を見てた方が楽しい。

大人になった今、改めてヤマタノオロチ神話を考えてみましょう。
ヤマタノオロチは、本当に斐伊川の象徴?
ネットで調べた現在でも、「ヤマタノオロチは斐伊川の象徴」という記述が少なくない。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)。八つの頭と八つの尻尾を持った蛇。たしかにここだけ「八つ」と限定するのはおかしい。
「八」とは、「たくさんの」という意味。
斐伊川を渡る神立橋(かんだちばし)から見ると、斐伊川は砂上をたくさんの支流が、蛇のようにうねって流れてます。

なるほど、ヤマタノオロチを斐伊川と比定しても、おかしくはない。
だとすると、斐伊川を退治するスサノオって何?

スサノオは垣を作り、そこに「八つの門」を開けてオロチをくぐらせましたね。そして、八塩折の酒を飲ませた。
酒を飲ませる前、門をくぐらせてオロチの動きを封じています。
門…

ひょっとして「水門」のこと!?
今でも斐伊川には、水門があります。そこから出雲市内に、水を引き込んでます。引き込んだ水が流れる川が高瀬川(たかせがわ)。水門を調節することで、高瀬川の流量を調整しています。
ということは、ヤマタノオロチ退治とは斐伊川の治水のこと?
だとすると大変なことです。

斐伊川は、大変な「暴れ川」として有名。昔は出雲市西にある、神西湖(じんざいこ:神の西の湖)を通じて、そのまま日本海に流れてました。今はその流れを180度転換、東にある宍道湖(しんじこ)に流れてます。
洪水の度に何度も流れを変える斐伊川。斐伊川の治水は、容易なことではありません。
そんな斐伊川の治水を弥生時代に行った人がいた?
それがスサノオ?

弥生時代の治水は、河川の氾濫から集落や耕地を守るための排水路や、土手の遺構などが発見されています。稲作が始まった弥生時代、田畑に水を引き込む用水路は必須。日本の治水は、弥生時代から始まりました。

しかしながら斐伊川そのものを治水するなんて、ちょっと考えられない。仮に弥生時代、本当に斐伊川の治水が行われてたとしても、遺跡は発見されないでしょう。暴れ川、斐伊川によって、2000年前の治水跡など全て流されているはずだから…

が、それこそ「予断」ではないか?
弥生時代の斐伊川の治水跡が永遠に発見されないなんて、勝手に決めつけるものではない。それに私は、弥生時代の技術を見下しているのかもしれません。

今一度、頭を白い紙にします。そこに弥生時代、斐伊川(河川)の治水が行われていたと書き込みました。日本の治水は弥生時代から始まったのだから、規模の大小は関係ない。仮に我々現代人が、

「弥生時代、河川の治水が行えた筈がない」

と考える事こそ予断であり、思い込みになります。
そうして、スサノオのオロチ退治を振り返ってみましょう。

八つの水門、つまり斐伊川の下流にたくさんの水門を設けます。水門と言っても下流にたくさんの土手を設けて支流を造り、川の流れを分散させるだけでいい。これだけでも大変な作業ですが。
すると下流の流量が増えますから、中流域の水位が下がります。そこで護岸工事。暴れ川、ヤマタノオロチを退治します。つまり「田んぼの姫」を助けた。
あるいは斐伊川本流に、たくさんの支流/水門を設けて水路を造り、集落から氾濫を迂回させたのかもしれません。

オロチの尻尾、つまり斐伊川の上流から「草薙の剣」が出てきた。これは斐伊川上流で、良質の鉄が造られていた。つまり「たたら製鉄」が行われていたことを意味します。
斐伊川上流で、製鉄が行われたのは事実です。島根県雲南市で、古代の製鉄所跡が発見されてます(羽森第3遺跡)。
但し、これは古墳時代の遺跡。弥生時代は鉄はもっぱら、海外からの輸入品に頼ってました。古代の製鉄に関して、日立金属株式会社のHPを参照してみましょう。

弥生時代に製鉄はなかった?

弥生時代の確実な製鉄遺跡が発見されていないので、弥生時代に製鉄はなかったというのが現在の定説です。

今のところ、確実と思われる製鉄遺跡は6世紀前半まで溯れますが(広島県カナクロ谷遺跡、戸の丸山遺跡、島根県今佐屋山遺跡など)、5世紀半ばに広島県庄原市の大成遺跡で大規模な鍛冶集団が成立していたこと、6世紀後半の遠所遺跡(都府丹後半島)は多数の製鉄、鍛冶炉からなるコンビナートが形成されていたことなどを見ますと、5世紀には既に製鉄が始まっていたと考えるのが妥当と思われます。

弥生時代に製鉄はあった?

一方で弥生時代に製鉄はあったとする、根強い意見もあります。それは製鉄炉の発見はないものの、次のような考古学的背景を重視するからです。

(1) 弥生時代中期以降急速に石器は姿を消し、鉄器が全国に普及する。
(2) ドイツ、イギリスなど外国では、鉄器の使用と製鉄は同時期である。
(3) 弥生時代にガラス製作技術があり、1400~1500℃の高温度が得られていた。
(4) 弥生時代後期(2~3世紀)には大型銅鐸が鋳造され、東アジアで屈指の優れた冶金技術を持っていた。

最近発掘された広島県三原市の小丸遺跡は3世紀、すなわち弥生時代後期の製鉄遺跡ではないかと、マスコミに騒がれました。そのほかにも広島県の京野遺跡(千代田町)、西本6号遺跡(東広島市)など、弥生時代から古墳時代にかけての製鉄址ではないかといわれるものも発掘されています。

弥生時代末期の鉄器の普及と、その供給源の間の不合理な時間的ギャップを説明するため、当時すべての鉄原料は朝鮮半島に依存していたという説が今までは主流でした。しかしこれらの遺跡の発見により、いよいよ、新しい古代製鉄のページが開かれるかもしれませんね。

とにかく古墳時代、斐伊川上流で砂鉄から製鉄が行われ、不純物を斐伊川に垂れ流し、「斐伊川は真っ赤に染まった」ようです。

「斐伊川の上流から箸が流れてきた」のと同様、時代錯誤があったのかもしれません。が、山陰の山々は、掘り起こせば(荒神谷遺跡/加茂岩倉遺跡のように)、何が出てくるか分かったもんじゃない。斐伊川上流で道路工事が始まれば、弥生時代の大規模な製鉄所跡が発見されるかもしれませんね。

ところで弥生時代後半、いち早く鉄が普及したのは、間違いなく出雲地方です。朝鮮半島から鉄が輸入された、九州北部ではありません。証拠は後で紹介します。
本当に弥生時代、斐伊川上流で大規模な製鉄が行われてたのかもしれません。それが、スサノオが持っていた銅剣と交わったので、刃が毀れた。

とにかくスサノオは、高天原では「水害」の神様でしたが、芦原の中国では「治水」の神様に変身しています。
なるほど、中学生の頃、出雲神話に感じた違和感はこれだったか。
納得できました。スサノオの正体を「水害/治水」と、対比させている。ネットで検索すると、スサノオはユダヤ人だったとか、中国の徐福だったとか、様々な解釈が見られます。
スサノオがユダヤ人でも徐福でも、私的にはどうでもいいんですが、これらの解釈では、高天原と葦原の中国における、スサノオの性格の違いが説明できない。

この後、物語はスサノオの6代目の子孫、結果的に本書の主役となる、大国主命(オオクニヌシノミコト)へと引き継がれます。