最後に、古代出雲歴史博物館に展示されている、不思議な土器を紹介しましょう。

鳥取県米子市淀江町にある、稲吉角田遺跡から出土した土器。紀元1世紀ごろ、西暦二桁代の弥生式土器のレプリカです。
| 大きな壺のくびに、太陽、船を漕ぐ鳥装の人々、木、鹿、高床建築などが描かれています。神まつりの場を描いたものでしょうか。船が向かおうとする高床の建物は、長い柱とはしごをもち、出雲大社のはるかな源流を思わせます。 (ガイドブックより) |

古代出雲歴史博物館の解説がこれ。土器を取り巻く絵がトレースされてます。解説員から伺った話では、右から左に見る(読む)らしい。
(1) 太陽の下、米子から船を漕いで行くと、
(2) そこには高い社があり、
(3) 魚や貝を獲る投網(赤貝桁:貝を獲る網)で捕った魚を、
(4) 天日干しして、
(5) 食料となる鹿もいる
私には、このように見えます。
当時、米子~出雲間は、船で行けました(島根半島は、文字通り島だった)。(1)はこのことを表現していると、解説員から伺いました。(2)は穀物を保存する高床式倉庫、(4)は銅鐸を表現していると解釈する研究者もいるそうです。
(2)の長い柱と梯子(はしご)を持った、建造物をご覧ください。特に梯子(はしご)にご注目。遠近法で上に行くほど、はしごの幅が狭く描かれてますね。
どうやら、とても高い建物のようです。
上古の時代、出雲大社は96mの高さだったという噂があります。調べてみると、どうやらソースは出雲大社の社伝。本居宣長の書にも96mと書かれているみたい。
上古の時代というのは、飛鳥時代より前の時代を指します。弥生時代の出雲大社は96mの高さだった!?
先に紹介した、大林組の「古代出雲大社本殿の復元」によれば、
「高さ48mの木造建築は可能だが、96mの木造建築は不可能」
そりゃそうだ。100m近い木造の高層建築なんて不可能です、常識的に考えて。
でも、米子から出土した土器には、とても高い建築物が描かれている。
頭を白い紙にして、土器に描かれてある絵を見ると、弥生時代の出雲の社は本当に96mの高さだった。米子から船を漕いで出雲に行った人たちは、とてつもなく高い社を見たことになります。
「96mの木造建築は不可能」
大林組プロジェクトチームの検証結果が不可能でも、本当に96mの社が存在したんです。
すぐに気付きました。
建てたんじゃない、立ってたことに!
気付いた理由は、私は「サヒメル」に行ったことがあるから。
サヒメルとは、島根県大田市三瓶町にある「三瓶自然館サヒメル」のことです。サヒメルには三瓶山の自然や、そこに生息する野鳥などが紹介され、近辺から発掘された化石も展示されてます。
三瓶山の成り立ちや歴史も学べる、ジオパーク的な要素も持った博物館。
プラネタリウムもある科学館でもあります。高性能の望遠鏡があって、金星の満ち欠けや太陽黒点を観測したことがあります。展示された隕石に触ることも可能。一日いても飽きない、自然科学館です。
受付のお姉さんが可愛くて、2ショット写真を撮らせてもらったことが一番の思い出。
…何の話でしたっけ?
そうそう、96mの木造建築の話でしたね。
サヒメルには、近くにある小豆原(あずきはら)埋没林から発見された、巨大な縄文杉が展示されてます。小豆原埋没林とは、
| 直径1mを超えるスギを中心とする巨木が、生育時のままで地下に林立している。高さ10mを超える幹が直立状態で残存しており、世界的にも例がない規模の埋没林である。また、直立する幹の根元には流木群が存在する。 この埋没林では、根を張って直立する埋没樹が約30本、流木はおびただしい数が確認されている。 埋没林の発見は、1983年のほ場整備で2本の直立した埋没樹が出現したことがきっかけとなった。1998年に島根県が発掘調査を行ない、多数の埋没立木が存在する埋没林であることが確認され、2004年(平成16年)2月27日に国の天然記念物に指定された。 三瓶小豆原埋没林は、約4000年前(放射性炭素年代で3500〜3700年前の測定値)の三瓶火山の活動によって形成された。火山活動に伴って発生した岩屑なだれの末端が泥流となって流れ込み、巨木林を一気に埋積し、さらに下流側のせき止めでダム化した谷に火砕物の二次堆積物が堆積することで、長大な幹が生育時のままの状態で埋積されたものである。 |
弥生時代、縄文杉はさらに成長し、直系4~5mの巨大な縄文杉が存在しました。弥生時代の船がその存在を物語ってます。弥生時代の船は木をくりぬいた丸木舟、準構造船でしたね。これらの巨大な縄文杉は造船のため、弥生時代にほとんど伐採されました。
このような高さ100mを越す縄文杉が、仲良く2本並んで立ってただけでOK。枝葉を切り落とし、90mくらいのところを水平に切り、そこに社を建てたら、高さ96mの楽しい木造建築のできあがり!
後は階段、木の階段でなくてもいい。長い縄梯子を社から垂らして、斜めにピンと張ったら、古代出雲大社の完成です。
大地に巨大な根をはった縄文杉です。そう簡単には倒壊しないことを小豆原埋没林は証明しています。
それでは、96mの社に祀られていた「モノ」は何でしょう?
間違いなくスサノオです。
スサノオ、始めから気になってました。
「高天原を照らす神」がアマテラス(天照)、「月を読む(時を刻む)神」がツクヨミ(月読)。稗田阿礼が思いつきそうな名前です。漢字に意味を持たせている。
しかしながら須佐之男(スサノオ)は、音仮名で書かれてます。
須佐
こんな名前、そう簡単には創造できない。三貴神の中でもスサノオ(須佐の男)だけは異質な名称です。イザナギがスサノオと会話する時だけ、「伊邪那岐大御神(イザナギノオオミカミ)」に変身したことも気になってました。
もう一つ、ヤマタノオロチ(八俣遠呂智)。八俣は訓読み、遠呂智は音仮名。
「オロチ」、これもそう簡単には創造できない名称。
| 爾問其形如何 | ヤマタノオロチ、どんな奴だ? |
| 答白彼目如赤加賀智而 | その目はホオヅキのように赤く、 |
| 身一有八頭八尾 | 身体は一つで、八つの頭と八つの尾がございます。 |
| 亦其身生蘿及檜榲 | 身体にはシダや檜(ひのき)/杉が生え、 |
| 其長度谿八谷峽八尾而 | その長さは八つの谷、八つの尾根に渡るほど大きく、 |
| 見其腹者悉常血爛也 | その腹は常に血で爛(ただ)れています。 |
原文を見る限り、「蛇」とは書かれてません。蛇と書かれているのは、古事記の序文なんです。太安万侶は序文で、古事記のあらすじを紹介しています。その一部に、こんな記述があります。
「寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以萬神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸國土」
「ここに於いて知ることになります。鏡を掛けて珠を吐き(アマテラスのこと)、歴代の天皇は継続することになりました。剣を噛んで蛇を切って(スサノオのこと)、たくさんの神々が繁栄しました。安河(やすかわ:天安河)で天下平定を議論し、小浜(稲佐の浜)で論じることによって、国土は清らかになりました」
あれっ、なんか変じゃない?
最後まで本書を読まれたあなたは、気づかれたことでしょう。そう、珠を吐いたのはスサノオ、剣を噛んだのはアマテラス。序文には逆のことが書かれてます。
これは「あらすじ」だから、細かいことは省略したのでしょう。アマテラスの珠から、天皇のご先祖様が生まれました。スサノオの剣から、宗像三女伸が生まれました。
「例え相手の息がかかった神様でも、自分の持ち物から生まれた神様は自分の子」
このため太安万侶は、
珠 = アマテラスの持ち物から天皇の祖先(天つ神)が誕生した
剣 = スサノオの持ち物から宗像三女伸(国つ神)が誕生した
と、序文に簡略表現した。
それより下線部にご注目。序文にはっきり「蛇」と書かれてます。稗田阿礼が誦した「八俣遠呂智」に、太安万侶は蛇というイメージを持ったのでしょう。しかしながら稗田阿礼は、「蛇」とは誦してない。さらに稗田阿礼は、神様は創造できても怪物は創造できない。
スサノオのオロチ退治神話は、古代出雲から伝わる伝説だったと考えます。ここだけは、日本神話の中でも異質のストーリー。原作、稗田阿礼ではない。
スサノオは、出雲国の「人間」でした。稗田阿礼が創作したアマテラスやツクヨミの神とは、質が違う。だからスサノオは、
「根の堅洲国にいる、亡き母に会いたいのです」
と言って泣きました。
スサノオは出雲国における人間、それも英雄だったからです。稗田阿礼は、
「スサノオは、古代出雲に伝わる『モノ』、今でいう『神』のように奉られた人だった。
それでは出雲国のご先祖様、スサノオはアマテラスと同等に扱わなければ」
スサノオに敬意を払い、「三貴神」を創作しました。出雲国を滅ぼした天皇家には、母系に出雲の血が入っていたのだから。
しかしながら人間だから糞もする。スサノオは、田んぼのあぜを壊したり、灌がい用の溝を埋めたり、神殿に糞をしたり、やりたい放題でしたね。三貴神の中で糞をしたのはスサノオだけです。天つ神が糞をしたという記述は無い。このため大気津比売(オオゲツヒメ)が天つ神なのか、国つ神なのか、今でも判断が付きません。
それでは96mの社に祀られていた、ご神体は何?
古事記から察して、スサノオの剣でしょう。今となっては名前も分からない、本物のスサノオの剣。「草薙の剣」と言う鉄剣と交わって刃毀れする銅剣ですが、斐伊川の治水を初めて行った、出雲国の「勇者の剣」です。
大和王権に攻め込まれた出雲国は崩壊寸前。大国主は自らの死を覚悟します。その時、大国主はどんな行動に出たでしょう?
「スサの剣だけは渡せない!」
大国主は96mの社に火を放ちました。今まで見たことも無い、高さ100mを超す巨大な炎が燃え上がります。大和朝廷軍から見れば、
呪いの業火
に見えたことでしょう。これが、
「大国主は高天原のタカミムスヒに煤が届くほど、地底の大岩が焼けるほどの火を焚いた」
古事記には、このように書き残されました。
高天原の高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)に、大国主は煤を届けた。この後、タカミムスヒは出てきません。完全に高木神(タカギノカミ:高い木の神)と、名前を変えましたね。
タテミカズチが十拳の剣の切っ先に胡坐をかいて迫った国譲りに、タカミムスヒは加わってません。それでもタテミカズチは、
「アマテラスとタカギノカミから授かった詔を伝える。
『お前が支配している葦原中つ国は、私の子が統治すべきと知らされた国である』
と、受け賜ってきた。お前の考えはどうだ?」
と言って、国譲りを迫りました。
タテミカズチに「高木神」と言わせたのは、高い木の上に神殿を造っていた大国主に、自らの存在を知らしめるため。「タカギノカミ」として、大国主の呪いを「上から目線」で封じ込めるため。そして、アマテラスと自分(タカミムスヒ)の子孫である天皇を、大国主の呪いから遠ざけるため。
大国主は天皇家に祟ってくる。だから稗田阿礼&太安万侶は、
「大国主は高天原の(タカギノカミではなく)タカミムスヒに煤が届くほど、地底の大岩が焼けるほどの火を焚いた」
と、正直に書き残した。同時に、
「今後は『返し矢で、アメノワカヒコを殺した高木神』に、大国主の祟りを封じ込めて欲しい」
という願いを込めて。しかし、それだけでは足りない。高木神(=タカミムスヒ)だけでは役不足。大国主は、高い木の上に祀っていた社に火を付けて、煤にしてしまったのだから。
そこでアメノホヒの子孫、出雲国造が天地開闢時に対生成した5人の神様、別天津神(コトアマツカミ)を「御客座五神」として、出雲大社に祀った。大国主がそんなに遠くない荒れ地、「百不足八十坰手」から脱獄しないように。
全ては紀元1世紀の弥生式土器に描かれた「高床の建物」から想像した、個人の感想です。