私的な話で恐縮ですが、私は福岡県北九州市出身。大分県宇佐市にある宇佐八幡宮こと、宇佐神宮(うさじんぐう)には、何度か行ったことがあります。
祖父の話によれば、私が初めて歩いたのは宇佐神宮だったらしい。
家族旅行で大分県の宇佐神宮に行った時のことです。戦時中、満州鉄道の機関士だった祖父が両親に言いました。
「一成(←私の本名)を歩かせてみい」
当時私は、「はいはい」から「つかまり立ち」までしかできませんでした。戦後、シベリア強制連行を何とか逃れて帰国した祖父は、宇佐神宮で強制的に孫を歩かせた。結果、私は「よちよち歩き」したらしい。
両親は、私が歩くとは夢にも思ってない。当然私は、靴を履いてませんでした。てか、靴を持ってなかった。
記憶違いかもしれませんが、玉砂利の上を裸足で歩いた記憶がうっすらとあります。
じいちゃんの記憶が残る地、宇佐神宮。公式HPを見ると祭神は、
| 一之御殿 | :八幡大神「誉田別命(ほんだわけのみこと)、応神天皇」 |
| 二之御殿 | :比売大神(ひめおおかみ) |
| 三之御殿 | :神功皇后 |
神託も何も、道鏡が天皇の座に就ける訳無いじゃん!
実質的な初代天皇が祀られている宇佐神宮まで和気清麻呂が行ったのは、ご先祖様のご意向を伺うためでしょう。ちなみに誉田別命とは、日本書紀に書かれている応神天皇の呼称です。古事記では、品陀和気命(ホムタワケノミコト)と書かれてましたね。
とにかく、宇佐神宮の祭神が応神天皇であることが分かっただけで、全ての紐が解れました。
仏教徒の道鏡が天皇になろうとした。応神天皇が祀られている宇佐神宮の宮司が、それを許すはずがない。
「道鏡が天皇になるのなら、オレも天皇になれるんじゃね?」
「いや、お前よりも修行しているオレの方が天皇にふさわしい」
「仏教って、天皇になれる力があるのか」
「いや~仏教って、本当にいいものですね」
「よーし、お父さん仏教徒になっちゃうぞ!」
「私も天皇になれるよう、功徳(くどく)を積もう」
「おだまりなさい!!
次期皇位継承者は、私が決めます」
おそらくは、宇佐神宮の宮司に諭されたであろう称徳天皇(女性天皇)が、覚悟を決めたのも当然の結果です。道鏡は、自ら墓穴を掘ることになりました。
「神護景雲3年(769年)5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と、大宰主神の習宜阿曾麻呂が、
『道鏡を皇位につかせたならば、天下は泰平である』
という内容の宇佐八幡宮の神託を奏上し、道鏡は自ら皇位に就くことを望む。」
と、ウィキペディアに書かれてましたね。ちなみに、
(1) 大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)とは、大宰府(九州筑紫)の長官。それが道鏡の弟である弓削浄人(ゆげのきよひと)
(2) 大宰主神(だざいのかんづかさ)とは、管内諸社の祭祀を司る大宰府職員
のことです。
大宰府。ご存知の通り、白村江の戦い以降、朝鮮半島からの侵略を防ぐための最前線基地。重要な場所でした。そこを司る役人たちに、道鏡の息がかかっていた。
要するに当時、「九州でいっちゃん偉い役人たち」が、道鏡を皇位につかせるべきと進言した。つまり道鏡は、自分の配下にある(と考えた)宇佐八幡宮を利用したわけ。
宇佐八幡宮の真の意味を知らなかった一族が辿った末路。この後、道鏡一族がどうなったかは、お察しください。
ところで、宇佐神宮の二之御殿に祀られている「比売大神(ひめおおかみ)」って何でしょう?
| 比売神(ひめがみ)は、神道の女神である。 神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで比売神(比売大神)、比咩神、姫大神などと書かれる。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものである。最も有名な比売神は、八幡社の比売大神である。 (ウィキペディアより) |
八幡社の総本山が宇佐神宮。比売大神って、「女神様たち」という抽象表現なのですね。それでは、宇佐神宮に祀られている「比売大神」って誰でしょう?
宇佐神宮のHPに書かれてます。比売大神とは、
「多岐津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、多紀理姫命(タギリヒメノミコト)」
古事記では、多岐都比売命(タギツヒメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多紀理毘売命(タキリビメ)と書かれてましたね。
アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神様です。この女神様たちは「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と、古事記に書かれています。もちろん福岡県宗像市にある、宗像大社に祀られています。
それでは、宗像大社のHPに行ってみましょう。