大物主の正体

大物主、大国主が三輪山に祀った神様です。古事記では、名前も名乗らない神様を「大和を取り囲む山々の東の山の上」に祀ったとありました。弥生時代、御諸山とか三輪山とか、山に名前は付いて無かったのでしょう。そんな奈良盆地東の山頂に、大国主は神様を祀った。この神様が大年神。その子供が大国御魂神(オオクニミタマノカミ)、後に大物主と呼ばれるようになった。

日本書記には、大国主の幸魂/奇魂(さきみたま/くしみたま)と書かれてましたね。
とにかく大国主が三輪山を神聖視していたことは間違いない。ここから大国主は、奈良盆地への移住を考えていたと考察しました。

しかしそれだけで、三輪山を神聖視するでしょうか?

奈良盆地に移住してから神聖視すればいいじゃないですか。移住する前の三輪山に、神様を祀るなんて考えられない。ここが、ずっと引っかかってました。
何故、大国主は三輪山を神聖視したのでしょう?

大国主の魂と解釈される大物主。夜這いの達人が何をしたのか、整理してみましょう。
大物主が夜這いをかけたのは、日本書紀を含めると3回。

1回目は、勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)。生まれた子が伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)。イスケヨリヒメは、神武天皇の正妻となりました。

2回目は、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)。百襲姫(モモソヒメ)は、箸でホトを突いて死んでしまいます。つまり子供は生まれなかった。おそらくこれが、古事記で省略された理由でしょう。

3回目は、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)。2人の間に生まれた子の子孫が意富多多泥古(オオタタネコ)。三輪山を祀る始祖となった人です。オオタタネコは大阪の八尾市で見つかりましたね。それを崇神天皇は、三輪山の麓に呼び戻した。

こうして整理すると、大物主は神武東征以前に、奈良盆地に住んでいた人々のご先祖様なのですね。年神様と解釈される大年神が夜這いをかけるわけにはいかない。大年神の子供である大国御魂神(オオクニミタマノカミ)にも、夜這いをかけさせられない。何と言っても「大きな国の魂」なのですから。

そこで大物主を創作した稗田阿礼の考えは分ります。だがそこに何故、大国主の魂が絡んでくる?
奈良盆地に住んでいた人々の祖先に何故、大国主の魂が絡んでくるんだ?

この疑問にたどり着いた時、閃きました。
ある日、大国主はたくさんの嫁や息子/娘たちを集めて言いました。

「出雲の地も寒くなった。毎年雪が積もるし、作物の育ちも良くない。
東に行ったところに、山々に囲まれた温暖な土地がある。
お前たちは、そこに行きなさい。
私も後で行くから」

こうして大国主が三輪山の麓、奈良盆地に多くの親族を移住させてたとしたらどうでしょう。もちろん出雲の兵士を護衛につけて。

「大和を取り囲む山々の東の山の神様、どうかあの子らをお守りください…」

これなら納得できる!
大国主が三輪山を神聖視して当然!
淀川の治水を行った大国主の親族が奈良盆地にやって来るんです。ナガスネヒコも大歓迎だったことでしょう。こうして近畿地方に、ナガスネヒコ/イズモ連合軍が誕生した。

こう考えた時、私は恐ろしいことに気づきました。考えるだけでも恐ろしいことに。
以下は、いくつかの状況証拠に基づいて私が創作した、恐ろしい古事記誕生秘話です。

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