少なくとも鎌倉時代までは、心御柱は絶対に大黒柱だったはず。繰り返しますが、そうでなければ、あのような高層建築は不可能。
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巨大本殿を描いた図 |
設計図があって鎌倉時代の遺跡と共通するということは、心御柱がずれたのは室町時代以降ということになりますね。
歴史の下限は分りました。それでは上限を調べてみましょう。
現在の出雲大社本殿が建築されたのは1744年。以降、本殿はリフォームを繰り返しています。古代出雲歴史博物館に、その模型があります。
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大社造(たいしゃづくり) 出雲大社本殿模型
出雲大社復元模型(寛文期) |
確実に言えることは、遅くとも1744年には心御柱がずれていた。これ以降、本殿はリフォームを繰り返しているのだから。
つまり、室町時代から江戸時代までのどこかで心御柱がずれた。
もっと掘り下げられないか?
「江戸時代前半、1667(寛文7)年の造替峙、中世以来の仏教色を排除し、当時の考え方として、より古い形式に「復古」した建築でもあります」
中世以来の仏教色を排除したって、何でしょう?
ウィキペディアに答えがありました。
| 祭神の変化 出雲国造新任時に、朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神であった。 やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった(本来、国引きは八束水臣津野命)。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き凶徒を射ち国域の太平を築く」と、杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には、「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。 さらには鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。また江戸時代初期には、社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の営管理に関する交渉を実施していた。 ところが杵築大社(出雲大社)内は、仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微した。このため寛文7年(1667年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して、寺社奉行に認められた。仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。これに併せて、祭神は須佐之男命から、『古事記』『日本書紀』などの記述に沿って、大国主大神に復した。 |
平安時代のいつからか、江戸時代(1667年)まで、出雲大社の祭神はスサノオだったんですね。祭神がスサノオじゃ、心御柱をずらす必要は無い。スサノオを牢屋の奥に閉じ込める必要は無いですから。
そもそも神話界のゴジラ、スサノオを牢屋に閉じ込めようと考える人は、今も昔も誰もいません。
心御柱が本殿中心からずれたのはズバリ、祭神がオオクニヌシに戻った1667年です。
改めて、本殿はオオクニヌシを閉じ込める牢屋だったことが分かります。
| 大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている。これは、本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられる。 |
ウィキペディアに書かれていることが真実ならば、心御柱をずらす必要は無い。
牢屋の奥深くにオオクニヌシを閉じ込めるため、心御柱をずらした。だから心御柱が中心からずれたのは、祭神がオオクニヌシに戻った1667年。こう考えないと、心御柱がずれた説明が付かない筈です。
が、これでは逆にオオクニヌシの祟りを増大させるのではないのか?
「私を牢屋の奥に閉じ込めやがって!」
はじめは、本殿の内部構造を設計した建築士(デザイナー)の感性を疑いました。しかしながら、どうやら違う。
1667年、心御柱をずらした建築士は、オオクニヌシの祟りを増大させたかった可能性が高い。既にヒントは出ています。
「1667年、徳川幕府から造営料として、銀2000貫(約7.5t)の提供を受けて完成した出雲大社」
出雲大社造替のスポンサーは徳川幕府です。思い出してください。オオクニヌシは天皇家に祟ってきましたね。徳川幕府がオオクニヌシの祟りをどう考えたか?
後は、お察しください。
まとめると、天皇はオオクニヌシの祟りを畏れた。理由は出雲国を大和王権が滅ぼしたから。ここまでは間違いないでしょう。が、それ以上の「何か」があった。
出雲大社の内部構造から、このような感じを受けました。あくまでも「個人の感想」ですが…
話は変わって、弥生時代を調べるためには、どうしても触れなければならない資料がある。これまでも、ちょいちょい出てきた資料。そう、魏志倭人伝です。


