考察:ヤマトタケル神話

ヤマトタケルの最後、本当に泣けます。が、それはそれ。やはり過程が雑です。
書き忘れましたがヤマトタケルが草薙の剣で、草を薙ぎ払った地が静岡県の「焼津」。
前述の通り、ここはスサノオが広野に火を付け、オオクニヌシを火の海で囲った神話の焼き回しです。

そして熊襲と蝦夷。それぞれ、南九州と東北で大和王権に服従しなかった勢力です。
ヤマトタケル神話は、熊襲と蝦夷を成敗したことになってますが大ウソ!
熊襲と蝦夷は、この後も存続します。

日本武尊ファンの方には真に申し訳ないですが、この神話は、大和王権が熊襲/蝦夷成敗に手を焼いたことを表してます。実際、蝦夷は平安時代まで存続しました。このため大和王権が熊襲/蝦夷討伐に失敗したことを神話化して、美化した。

「歴史は勝者が作る」

大事な定義です。
ヤマトタケル神話から勝者の論理を削除すると、

「4世紀前半、第12代景行天皇の時代、大和王権は北部九州から東北南部まで支配下に治めたが、熊襲(九州南部)と蝦夷(東北北部)は服従しなかった」

と言うことでしょう。
それはそうとヤマトタケルの最後、白鳥になって飛び去っていきますね。

「大鳥の羽根を用いて死者を送るがそれは、死者を天空に飛揚させるという意味であった」

これ、弁韓の風習そのまんまじゃないですか。
稗田阿礼、これをモデルにしてヤマトタケルの最後を創作したな。

間違いないですよ。山幸彦が行った海底宮殿は、弁韓です。仮に奈良時代まで任那日本府が存続していたら、稗田阿礼は海底宮殿ではなく、「加羅(から:広義の任那)」と書いたでしょう。
もっと言うと、海女がヒントになっていると考えます。

サルメノキミは言いました。
「お前たち、ニニギノミコトにお仕えするかい?」

ワタツミは言いました。
「お前たち、山幸彦が無くした釣り針を知らないかい?」

共に、お魚さんと会話してましたね。サルメノキミは、海女だったと解釈しました。
海女という職業は、日本と韓国だけに存在するんです。このため三重県の海女、韓国(主に済州島)の海女、共に世界遺産に登録しようとする動きもあるくらい。
但し、韓国の海女は、元々は男性の職業。調べてみると、韓国の海女が女性の職業になるのは17世紀になってから。

「お前たち、山幸彦が無くした釣り針を知らないかい?」

お魚さんに話しかけたのは、トヨタマヒメ(女性)ではなくワタツミ(男性)でしたね。しかもワタツミは、海に潜った海底宮殿の主。

さらに「玉/珠」、間違いなく真珠を意味しています。真珠はアコヤガイから獲れるのはご存知の通り。今でこそアコヤガイは養殖されてますが、本来は干潮時の水面~20mくらいに生息する二枚貝。つまり真珠も海に潜らなければ、干潮時以外は獲れない。
とにかく、

「天皇の祖先は、朝鮮半島からやって来た」

なんて噂を聞いたことがありますが、ちゃんと古事記に書いてあるじゃん。
天皇の母系には、弁韓の血が入ってます。しかも、弁韓に行った山幸彦の子供、アエズノミコトは一人っ子。天皇のご先祖様を1人に絞ってますね。そして、後に初代神武天皇となるワカミケヌノミコトは、一人っ子のアエズノミコトと、トヨタマヒメの妹タマヨリビメの子。
神武天皇は、ほとんど弁韓人と言ってるようなものです。

さらに山幸彦が海幸彦を服従させたのは、ワタツミの協力があったためでした。おそらく山幸彦に連れられて、多くの弁韓人が九州に帰化しています。このため潮乾珠に象徴される、隼人族を服従させることができた。これが大隅隼人と日向隼人。
逆に山幸彦に反抗した隼人族もいた。それが潮満珠に象徴される、薩摩隼人こと熊襲。
山幸彦/海幸彦神話は、九州の勢力分布図をよく表しています。

ちなみにヤマトタケル神話だけから、本件を考察したわけではありません。「玉(珠)のやり取り」が伏線となってると書きましたね。この伏線は、まだ回収されてません。
これが朝鮮半島と関係があることは、後で分かります。

それと、もう一つ。
「魏書弁辰伝」には、何気に凄いことが書かれてます。

「(弁韓は) 蚕を飼い、縑布(目を緻密に固く織った平織りの絹布)を作った。
鉄の産地であり倭、濊(わい)などが採掘していた。」

(1) 目を緻密に固く織った平織りの絹布
(2) 隙間の無い、細かく編んだ竹かごの小船

(1)と(2)、何か似てませんか?
(2)は、山幸彦が乗って行った潜水艦です。行った場所が魚鱗で造られた海底宮殿。
さらに鉄。わざわざ弁韓まで行って、倭が鉄を採掘していたということは弥生時代、日本は製鉄技術を持っていたことになりますね。弥生時代、やはり日本は製鉄技術を確立していたのではないでしょうか。

コラム:弁韓と倭国
このように、天皇には弁韓の血が入っていたと考察しましたが、必ずしもそうとは限りません。地図を見れば分かりますが、対馬は九州よりも朝鮮半島に近い。弥生時代、現在のような国境はありませんから、朝鮮半島南部にも倭人が進出していたと考えられます。その証拠に魏書弁辰伝には、弁韓で倭人が鉄を採掘していたと書かれてました。

従って山幸彦が結婚したのは、「弁韓に住んでた(鉄を持った)倭人」だった可能性もありますが、真偽は不明。
本書では便宜上、「弁韓」と記載します。

 

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