それから縁起のいいことに、3年の月日が流れました。
山幸彦は思い出しました。
「あっ!
そうだった、兄さんの釣り針を探さなければ…」
わざとらしい!
すぐに気付いたんだろうが、縁起を担いで3年暮らしたことにしたんでしょ、稗田阿礼さん?
「はあ…」
山幸彦は、ため息をつきます。
トヨタマヒメは、お父さんのワタツミに相談します。
「お父さま、山幸彦さまのご様子がおかしいのですが…」
「どのように?」
「お元気が無いのです」
「倦怠期じゃろう」
「その元気ではありません!!
お父さま、これには何か訳があるのでは?」
ワタツミの神は、山幸彦に問いかけます。
「娘がそなたのことを心配しておるんじゃが…
そもそも、そなたは何をしにいらっしゃった?」
ボケてんじゃねーぞ、じーさん!
「実は、かくかくしかじかでして…」
「そういうことでしたら、お任せ下され!」
ワタツミは大きな魚/小さな魚を集めて、問いました。
「お前たち、山幸彦が無くした釣り針を知らないかい?」
「そういえば、鯛くんが喉を詰まらせて、ものを食べられないとか」
ワタツミが鯛くんの喉を調べると、果たしてありました。
間違いなく海幸彦の釣り針!
ワタツミは、山幸彦に言いました。
「釣り針をお兄さんに返す時、
『この釣り針は、おほ釣、すす釣、まず釣、うる釣(原文:此鉤者淤煩鉤須須鉤貧鉤宇流鉤)』
と言って、後を向いて渡しなさい。
そしてお兄さんが高いところに田を作ったなら、あなたは下に田を作り、お兄さんが下に田を作ったなら、あなたは高いところに田を作るのです。
そうすれば私が水を送って(原文:吾掌水)、3年間お兄さんを貧乏にしましょう。
お兄さんが恨んで攻めてくれば、潮満珠(しおみつだま)を出して溺れさせるんです。
お兄さんが愁いてくれば、潮乾珠(しおひるだま)を出して命を助けてあげなさい」
こう言って潮満珠と潮乾珠という、2つの珠を渡しました。
満潮/干潮から創作してますね。奈良時代の人は、満潮/干潮を知っていた。月が影響していることは、知っていたのでしょうか?
もちろん知ってた筈。満潮(大潮)は、新月か満月の時に起こる現象ですから。
とにかくここで、山幸彦は「珠」をプレゼントされてますね。
山幸彦が帰る時がやってきました。
ワタツミは、鮫(原文:和邇魚)たちを集めました。
「山幸彦さまが、地上に戻られようとしておられる(原文:出幸上國)。
誰が何日で、お送りできるかな?」
「私なら一日で送り、すぐに帰って来れます!」
一匹の鮫が答えました。
「それでは、お前に任せよう。
但しスピードを出し過ぎて、山幸彦さまを怖がらせるでないぞ」
ワタツミは鮫の首に山幸彦を捕まらせ、送り出しました。
シュオォ――ン!!
ワタツミの言葉を聞いちゃいない。
鮫はフルスロットルで、山幸彦を地上に送り届けました。
「それでは山幸彦さま、ずいぶんとお達者で!」
「ちょっと待って鮫くん。お礼と言っては何だけど、これを受け取ってくれ」
山幸彦は、紐小刀(ひもがたな)をプレゼントしました。
このため鮫は、佐比持神(さひもちのかみ)と言うらしい。
「佐比(サヒ)とは刀剣や鋤(すき)の意で、サメの鋭い歯を畏怖(いふ)し、神格化したものである」(コトバンクより)
先に触れた、海に潜る海女の脅威は何でしょう?
もちろん鮫です。
稗田阿礼は、ここで鮫の怖さを謳ってますね。
「よう山幸彦、遅かったな」
「兄さんの釣り針、見つけてきたよ」
「どれ、早く寄こしな」
山幸彦は後ろを向いて、釣り針を渡します。
「この釣り針は、おほ釣、すす釣、まず釣、うる釣」
「なんだそりゃ?」
「単なるおまじないさ。それよりその釣り針、兄さんのでしょう?」
「お、おう」
果たして、ワタツミの言った通りになりました。
海幸彦は次第に貧乏になりました。
「海幸彦の奴め、あの時のまじないが原因か!」
海幸彦は山幸彦を襲ってきました。後はワタツミの言葉のコピペ。
山幸彦は潮満珠(しおみつだま)を出して、海幸彦を溺れさせました。
「…助けてくれ!」
山幸彦は潮乾珠(しおひるだま)を出して、助けました。
「まいった、これからは昼夜守護する人として、お前に仕えるよ」
考察:隼人と熊襲
隼人族の祖先(原文:隼人阿多君之祖、たくさんの隼人の祖先)が海幸彦と、古事記に書かれています。ちなみに「阿多郡(あたぐん)」という郡が鹿児島県にあったそうですが、おそらく古事記に因んだ地名。この地名は、そんなに古くない。
それより古事記に書かれている「隼人族」。調べてみると、
| 隼人(はやと)とは古代日本において、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島県・宮崎県)に居住した人々。 古く熊襲(くまそ)と呼ばれた人々と同じといわれるが、「熊襲」という言葉は『日本書紀』の日本武尊物語などの伝説的記録に現れるのに対し、「隼人」は平安時代初頭までの歴史記録に多数現れる。熊襲が反抗的に描かれるのに対し、隼人は仁徳紀には天皇や王子の近習であったと早くから記されている。 文献上の確実な史実として初めて「隼人」が登場するのは、『日本書紀』に見える682年(7世紀後半・天武天皇11年)7月の「朝貢」記事と考えられている。 服属後もしばしば朝廷に対し反乱を起こし、大隅隼人などは713年(和銅6年)の大隅国設置後にも反乱を起こした。720年(養老4年)に勃発した、隼人の反乱と呼ばれる大規模な反乱が征隼人将軍大伴旅人によって、翌721年に征討された後には完全に服従した。 |
熊襲とは、大和王権に服従しなかった九州南部の勢力のこと。後で古事記にも出てきます。
ニニギノミコトがコノハナノサクヤヒメをナンパした「笠紗の岬」、鹿児島県の野間岬と解釈されてます。
ニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメの間に生まれたのが、山幸彦/海幸彦。つまり山幸彦/海幸彦神話は、九州南部に住んでいた一族の分裂を表してます。
結果、山幸彦に代表される一族から天皇が誕生しました。
潮乾珠に象徴される、天皇に服従した隼人族もあったが、潮満珠に象徴される対抗した隼人族もあった。対抗した隼人族が「熊襲」。
古事記によると分裂した原因は、山幸彦が海底宮殿に行って、ワタツミの協力を得たことがトリガー(きっかけ)となってますね。
海底宮殿とは何か、もう少し古事記を読んでから考えてみましょう。
ところでウィキペディアに書かれてる「隼人族」、大変興味深い。
「文献上の確実な史実として初めて「隼人」が登場するのは、『日本書紀』に見える682年(7世紀後半・天武天皇11年)7月の「朝貢」記事と考えられている」
「朝貢」と書かれてるからには、天皇に服従してますね。
「服属後もしばしば朝廷に対し反乱を起こし、大隅隼人などは713年(和銅6年)の大隅国設置後にも反乱を起こした」
古事記が完成したのは712年。翌713年に、隼人族の反乱が起こってますね。
「720年(養老4年)に勃発した、隼人の反乱と呼ばれる大規模な反乱が征隼人将軍大伴旅人によって、翌721年に征討された後には完全に服従した」
720年は、日本書紀が完成した年です。
隼人族は「日本の正史」でdisられたことが、不満だったようですね。
それだけ記紀(古事記/日本書紀を合わせて『記紀』と言います)の内容が、衝撃的だったようです。
古事記に戻りましょう。