古事記、ご存知の通り、日本最古の文章です。
その序文によれば、稗田阿礼(ひえだのあれ)が28歳の時、天武天皇から記憶力の良さを見込まれて、「帝紀」、「旧辞」などの誦習(しょうしゅう、口に出して繰り返し読むこと)を命じられたそうです。
帝紀とは、それまでの天皇の系譜が記載された書物。旧辞とは、当時の豪族たちが持っていた歴史や伝承を取りまとめたものらしい。どちらも現存しません。それらを稗田阿礼が暗記したそうです。
そして稗田阿礼が、自分の頭でまとめたことを誦し、太安万侶(おおのやすまろ)が記録しました。こうして古事記は完成、712年、元明天皇に献上されました。
古事記は、上巻/中巻/下巻の全3巻で構成されてます。内容は、
| 上巻 | :日本神話(神代記) |
| 中巻 | :初代神武天皇から第15代応神天皇までの天皇記(人代記、但し序盤は神も登場) |
| 下巻 | :第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までの天皇記(人代記) |
に分かれてます。
続いて日本書紀。これは舎人親王(とねりしんのう)という人が、当時の役人たちに編集させ、取りまとめた歴史書です。古事記から8年後、720年に完成しました。
古事記は全3巻ですが、日本書紀は全30巻!
古事記の10倍の長さです。また、日本書紀における神代記は、はじめの2巻だけ。残りの28巻は全て人代記、すなわち天皇記です。
歴史教科書によると、672年に「壬申の乱」という皇位継承争いがあったらしい。大海人皇子(おおあまのおうじ)が地方の豪族たちを取りまとめ、大勝利をおさめました。これにより、中央の大豪族の力は抑えられ、豪族たちの政治干渉を排除することに成功しました。
大海人皇子は天武天皇として即位、律令国家(律令によって統治の枠組みが決められている国)の基礎を築きました。「日本」という国号も、この時期に生まれたそうです。
つまり、「国」としての自覚が高まった時期だったんですね。ならば、日本国はこんな歴史を持っているんだぞと、国内外に知らしめねばならない。そこで天武天皇は、国史の編纂を目指したわけです。
そして、国内向け歴史書として完成したのが古事記。海外向け歴史書として完成したのが日本書紀。
海外向けとは当時、中国大陸を支配していた、遣唐使で有名な「唐」を指します。従って日本書紀は、漢文で書かれています。
これに対し、国内向け歴史書である古事記は、音仮名(おんがな)を交えて書かれてます。音仮名は「万葉仮名」とも言い、簡単に言うと「当て字」。例えば万葉集で、恋という言葉は「古比、古飛、故非、孤悲」などと書かれてます。(歴史教科書より)
要するに、漢字に意味は無い。ちなみに音仮名を崩して単純化したのが、ひらがなやカタカナです。
従って、古事記を唐の人が読んでも、「ちょっと何書いてるか分かんない」わけ。
もちろん意味のある漢字(訓読み)も使用されてます。
最後に風土記(ふどき)。これは各地方の文化や風土を編纂させた報告書のことです。日本書紀が国家公務員が書いたのに対し、風土記は地方公務員が書いたものと思えばいい。
「出雲国風土記」、「播磨国風土記」、「肥前国風土記」、「常陸国風土記」、「豊後国風土記」の5つが現存してます。このうち出雲国風土記は、ほぼ完全な形で残ってます(他の風土記は、一部が欠損している)。
以降は、古事記に何が書かれているのかをメインに、必要なときに日本書紀や風土記を参照しながら進めます。
が、古事記を読み説くためには、私には大きな壁がある。