大物主

オオクニヌシはスクナビコナが常世の国に渡ってしまったため、悩みます。

「これから私一人でどうやって、この国を造っていけばいいのだろうか…」

その時、突然海が光り、近づいてきた神様がいました。

「お主、悩んでおるな?」
「あなた様は一体?」
「わしは大物主(オオモノヌシ)、そなたの幸魂/奇魂(さきみたま/くしみたま)である」

幸魂は、運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働き。
奇魂は、奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略/学問/技術を表します。
(ウィキペディアより)
要するに、オオクニヌシの「善なる魂」ということですね。

「私の幸魂/奇魂、オオモノヌシ様!?
なるほど、自らのモノの大きさを名のられるとは、さすがは我が幸魂/奇魂であらせられる」
「妙な納得の仕方をするでない。
とにかく、わしを大和の三輪山の山頂に祀るがいい。
そうすれば、お主に協力して国造りを行うことができる」
「はあ…」
「そうしなければ、お主の国造りは失敗するぞ」
「選択の余地なし芳一と言うわけですか…
分りました」

こうしてオオモノヌシは、三輪山の山頂に鎮座する神様になりました。
この時、オオモノヌシは内心しめしめと、ほくそ笑んだことでしょう。
この神様、後でとんでもないことをやらかしてくれます。

実はこの部分、かなり加筆しています。
原文を忠実に訳すと、以下のようになります。

オオクニヌシは悩みます。

「これから私一人でどうやって、この国を造っていけばいいのだろうか…」

その時、突然海が光り、近づいてきた神様がいました。

「わしを祀るがいい。そうすればお主に協力して、国造りを行うことができる。
そうしなければ、お主の国造りは失敗するぞ」
「それでは、どのように祀ればいいのでしょうか?」
「わしを大和(原文:倭)を取り囲む、山々の東の山の上(原文:青垣東山上)に祀るがいい」

これが、御諸山(みもろやま:三輪山のこと)の山頂に鎮座される神様です。

つまりオオクニヌシは、名前も知らない神様を奈良盆地東の山の山頂に祀った。
これだけしか書かれてません。
スクナビコナと同様、話の内容がスカスカです。特に、

「大和を取り囲む、山々の東の山の上に祀れ」

と、名前も名乗らない神様は言ってます。
「御諸山(三輪山)に祀れ」とは、一言も言ってない。
ここには何か秘密があるな。
ちなみに「幸魂/奇魂」は、日本書紀から引用しました。

とにかくオオクニヌシが、三輪山を神聖視してたことは間違いない。
ここからもオオクニヌシは三輪山の麓、奈良盆地(= 大和を取り囲む山々の麓)に移住しようとしてたことが推測できます。
その理由は、2つ考えられます。

1つ目の理由:
どうやら弥生時代、寒冷化が進んだらしいんです。
寒冷化すれば山陰地方も、冬になれば雪が積もる。あまり住み心地のいい場所とは言えません。出雲から見て奈良盆地は温暖な気候で、過ごしやすい場所に見えたことでしょう。

2つ目の理由:
地政学上の理由です。オオクニヌシは知ってたはずです。日本列島(本州)は、ヌナカワヒメのいる北陸地方から、さらに東北へ広がる台地があったことを。
そこまで国を広げるためには、出雲は西過ぎる。
もっと東に行かないと利便性が悪い。そのため奈良盆地への移住を考えたと推測します。

コラム:寒冷化と温暖化
弥生時代の寒冷化は、海水面が後退するほどだったらしい。弥生時代初期、島根半島は文字通り「島」でした。
これが寒冷化によって海水面が後退し、出雲平野や鳥取県の弓ヶ浜となる「基」が形成されたようです。
もちろん海流による、砂の堆積も影響したでしょう。
これが出雲風土記には、「国引き神話」として書き残されています。

その昔、出雲に八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)という神様がいました。
ヤツカミズオミツヌは、スサノオの4代目の子孫です。ちなみにオオクニヌシは6代目でしたね。つまりヤツカミズオミツヌは、オオクニヌシのおじいさん。

ヤツカミズオミツヌは出雲は小さい国だと思い、朝鮮半島の新羅や越の都々(つつ:能登半島の先端)など、合計4つの地に縄をかけ、引っ張りました。そしてサヒメ山(現在の三瓶山)と火神岳(ほのかみだけ:現在の鳥取県大山)に、縄でくくり付けました。
こうしてできたのが、現在の島根半島です。

これは前述の通り、海水面が後退して「島」が本州に繋がり、島根半島となったことを表してるのでしょう。
それにしても海水面が後退する寒冷化って、かなりの寒冷化です。海水面が後退するためには、海水が大陸(陸地)に移動しなければなりません。
シベリアやカナダ北部、ノルウェー/スウェーデン/フィンランドなど、北極圏は氷で覆われたはず。

ちなみに現在、温暖化によって北極海の氷が溶けて、海水面が上昇するなんて話を聞きますが大ウソ!
コップに氷を入れて、そこに水を目一杯注いでみてください。氷が溶けるとコップから水が溢れ出しますか?
氷が水に相転移すると体積が減りますから、コップの水位は下がるはずです。念のため言っておきますが、北極には「陸地」はありません。

「いや、海水は熱膨張する」
と言ってる方々も散見されますが、熱膨張でどれだけ海水面が上昇すると思ってるのでしょう?
海水温度が上昇していると言っても海水面の話。深海の温度が上昇している訳ではない。

(1) 太陽の光は、水深200mには海面の0.1%しか届かない
(2) 地球の海の平均水深は 3,729mであり、深海は海面面積の約80%を占める

これでも熱膨張によって海水面が上昇すると思いますか?
温暖化で海水面が上昇するためには、南極大陸の氷が溶けることが絶対条件。ところが南極大陸の氷は、少なくなるどころか近年は増える傾向にあるんだなあ。

北極と南極の氷の量は、桁が違います。現在、地球上にある氷の90%は南極大陸に存在します。場所によっては富士山より高い、4000m以上の氷で南極大陸は覆われてるんです。
北極海、あるいはその周辺の氷が溶けても南極大陸の氷が増えればどうなるか、ご想像ください。

日本列島など、夏は局地的に高温になってますが、おそらく海流の変化が原因です。海流の変化をデータで取ってないから断定はできない。が、状況証拠はあります。
近年、サンマやウナギの不漁が顕著でしょう?
特に「湾」。北海道の噴火湾、静岡県の駿河湾など、それぞれホタテやサクラエビの不漁が顕著です。

おそらく、海流の変化(海流の強弱)が影響しています。海流の変化によって「湾」に海流が入らなくなる。但し、温暖化してるから海流が変化しているという「予断」は許されない。何故、海流が変化するのか、根元を研究している機関はどこにもないのが現状です。

もっと言うと「中世温暖期」というのがあって、当時の地球の平均気温は現在より高かったんです。その時、日本は平安時代。
風通しの良い平屋の建物の庭に池を造った「寝殿造り」という、貴族の屋敷があったでしょう?
川から水を引き込んで造った池は、天然のクーラーだったんです。

平安時代、CO2が増加したのかなあ?

定量的なデータが無いので推測するしかありませんが、海は数百年/数千年単位で海流を変え、温暖化/寒冷化を繰り返してます。
ちなみに恐竜がいた時代、北極海/南極大陸には氷がありませんでした。それだけ温暖な気候だったんです。

現在、大気中に含まれるCO2は約0.03%。
これが0.04%に増えたところで、地球が温暖化するものですか、常識的に考えて。CO2が増えると植物のエネルギーが増加しますから、森林や密林が増えることでしょう。
それでもCO2を削減すべきと主張される方は、中国やアメリカに言ってください。世界のCO2排出量の40%以上は、中華人民共和国とアメリカ合衆国なのですから。ちなみに、日本が排出するCO2は、3~4%くらいです。

誰も指摘しないのですが、温室効果化ガスのほとんどは「水蒸気」です。
海流が変わると、局地的に水蒸気が増減する。「湿気」の多い場所と少ない場所に変化が生じる。現在の日本列島は、(特に夏場)湿気の多い場所になっている。
おそらくこれが、日本の夏が高温になっている原因です。

話を寒冷化に戻しましょう。
海水面が下がると沿岸部に砂が堆積します。こうしてできたのが鳥取県の弓ヶ浜や出雲平野。同じく夜景で有名な函館の地も、おそらくこの頃、形成されたはずです。
砂が堆積すると、河川の水が海に流れこむ直前で一時停止して、池が形成されます。あるいは海だったところが湖になり、脱塩され池になり、そこに湿地帯が形成される。

この湿地帯にアシやガマなどが生え、次第に沼地に変化して行きます。こうした沼地が、弥生時代の稲作にもっとも適した土地になりました。だって、田んぼを作る必要が無いのですから。

ガマ(蒲)、古事記に出てきましたね。因幡の白ウサギが転がった植物です。
そしてアシ(葦)、海水面が後退して海岸線に湿地帯ができました。日本列島の海岸に、葦が生える湿地帯が形成された訳です。これが葦の野原。葦の野原に囲まれた、その中にある台地が日本列島。略して、

芦原の中国!
奈良時代の人々、特に稗田阿礼の知識を侮ってはなりません。
ちなみに鳥取県/島根県/岡山県/広島県/山口県を合わせて、「中国地方」と呼ぶでしょう。
何故、これら5県が中国地方と呼ばれるのか?
芦原の中国と関係があるのかもしれませんね。

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