国譲りの真実(夷振の歌)

「うわ~ん、うわ~ん…」

最愛の夫、アメノワカヒコを亡くしたシタテルヒメは、まだ泣いてます。妹をどのように慰めればいいのか…
アヂシキタカヒコネは、妹にかける言葉も浮かびません。妹に、こんな悲しい思いをさせやがって…

この時のアヂシキタカヒコネの魂の叫びを、北九州出身の私が代弁しましょう。

「きさーん、何しよんか!
父ちゃんのオオクニヌシがワカヒコに妹を嫁がせたんは、出雲の国を譲るためやったんぞ!
きさんらが『その国譲れ』っち言うけ、ワカヒコに継がせるつもりやったんぞ。そのワカヒコを殺してどーするんか!
九州人どうしが殺しおうてどーするんかちゃ!
オレら兄妹の母ちゃん、タキリビメは博多の女なんぞ。オレらにもワカヒコと同じ、九州ん血が流れとるんぞ!
やけ父ちゃんは、九州人どうしを結ばせて、出雲を譲るつもりやったんよ!
それを全ぶ台無しにしよって…
それに母ちゃん、オレらの母ちゃんはのう、
アマテラスがスサノオの十拳の剣を噛み砕いて、吹いて生まれたんぞ!
知っとるんか、きさーん!」

「お兄ちゃん、もういい」

ようやく泣き止んだシタテルヒメが詠います。

「天の機織女(はたおりひめ)が首に掛けている首飾りの玉、素敵な管玉。それを邪馬台国と出雲国の間にある、深い谷に渡らせた人。それが私のお兄ちゃん、

阿遅志貴高日子根の神ぞ!」
これが夷振(ひなぶり)の歌。
古事記だけでは、この歌の意味は絶対分りません。遺跡を調べて、魏志倭人伝を調べて、いろんな神社を巡り巡って、ようやく分かった。

邪馬台国と出雲国に和平が成立したんです!
意味不明だった夷振の歌、順番に説明しましょう。
今一度、原文を確認します。

阿米那流夜淤登多那婆多能宇那賀世流多麻能美須麻流美須麻流邇阿那陀麻波夜美多邇布多和多良須阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也

あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなだまはや みたにふたわたらす あぢしきたかひこねのかみぞや

江戸時代の国文学者、本居宣長は、

天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 穴玉はや み谷二渡らす 阿遅志貴高日子根神ぞや

と、書き残してましたね。
項(うなじ)とはご存知の通り、首の後ろを表します。
御統(みすまる)とは、たくさんの玉を巻いて輪とし、首にかけたり腕に巻いたりして飾りとしたもの。
穴玉(あなだま)は、穴の開いた玉。「勾玉」あるいは「管玉」を意味します。
「はや」は、深い感動を表す終助詞。従って、

「天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 穴玉はや」

直訳すると、

「天の機織女が首に掛けている玉の首飾り、ああ勾玉(管玉)よ」

問題はここからです。

「み谷二渡らす」

これを、

「谷二つ、一度にお渡りになる」

と解釈されたのが大正/昭和の国文学者、武田祐吉(たけだゆうきち)先生。武田先生は、

天の世界の若い織姫の
首に懸けている珠(たま)の飾り、
その珠の飾りの大きい珠のような方、
谷二つ一度にお渡りになる
アヂシキタカヒコネの神でございます。
(青空文庫より)

と書かれてます。先生は、

「美多邇布多和多良須(みたにふたわたらす)」

これを、

「み谷二 渡らす(美多邇布多 和多良須)」

と分けられました(倉野先生も同様)。しかしながら、

「み谷 二渡らす(美多邇 布多和多良須)」

と分けると、どうなるでしょう?
さらに「み谷」を御谷/深谷と、分けて解釈すると、歌の意味合いが変わってきます。
「渡らす」も、お渡りになる/渡らせると、尊敬語/使役語に分けて解釈しても意味合いが変わってきます。
難しいですね。順番に考えましょう。

まず「み谷」。
これが仮に「み山」と書かれてるのなら、「御山」と解釈できます。日本人は、昔から山を神聖視してきたから。
しかしながら谷を神聖視してきた歴史は、日本には無い。(インカ/ペルーにはあります)
従って「み谷」は、深い谷「深谷」と解釈します。

後の解釈はマトリクス。表にしてみましょう。

美多邇布多和多良須(みたにふたわたらす)
(1) みたにふた わたらす 深い谷2つに、1つ渡らせる。
(2) みたにふた わたらす 深い谷2つに、1つお渡りになる。武田先生の解釈。
(3) みたに ふたわたらす 深い谷1つに、2つ渡らせる。私の解釈。
(4) みたに ふたわたらす 深い谷1つに、2つお渡りになる。

「ふた」を2と解釈するのは、間違いないでしょう。問題はその後。

何が2つなのか?
武田先生/倉野先生は「谷2つ」と解釈されました。 たしかに(1)の解釈は成り立たない。「2つの谷」を渡らせたものは何か、使役では説明がつきません。「1つの谷」だったら、渡らせたものは何でもOKですが。

同様に(4)、1つの深い谷に2人の方がお渡りになる。アヂシキタカヒコネとシタテルヒメの二人がお渡りになったのでしょうか?
だとしたら、シタテルヒメが「お渡りになる」と、自分で自分を尊敬したことになりますね。
結論は(2)か(3)、どちらかです。つまり「ふた」、2が前後どちらにかかるかで解釈が分かれます。

武田先生/倉野先生は(2)、私は(3)と解釈しました。私が(3)と解釈した理由は、武田先生/倉野先生が訳された「深い谷二つ」。
原文は「美多邇布多(みたにふた)」。深い谷が二つあったなら、「二つの深い谷(ふたみたに)」と書きませんか?

さらに(2)では前段の句、勾玉に繋がりません。
武田先生は「穴玉はや」を「珠の飾りの大きい珠のような方」と解釈されました。
しかしながらこれは、失礼ながら誇大解釈。「大きい」とは、どこにも書かれてません。
私は前述のように、「ああ勾玉(管玉)よ」と直訳します。するとどうなるか?

「天の機織女が首に掛けている玉の首飾り、ああ管玉よ
(その管玉を)深い谷に2つ渡らせる」

つまり、こういうことです。

こう解釈すれば、「(ふた)2」の意味が分かります。管玉の橋を2つ、深い谷に渡らせることになりますね。

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