古事記に明記されている「和平」。日本人は、いつから「和平」という言葉を使い始めたのでしょう?
少なくとも古事記に記述されているのですから、遅くても8世紀には存在していたことは確実ですね。そして「平和」と「和平」、どちらもGoogle先生で翻訳すると、
| 英語 | :peace |
| フランス語 | :La paix |
| ドイツ語 | :Frieden |
| イタリア語 | :pace |
| スペイン語 | :La paz |
| ロシア語 | :мир |
| 中国語 | :和平 |
と、返ってきます。
すべての言語はとても調べきれませんが、「平和」と「和平」という言葉を使い分けてるのは、おそらく日本人だけ。平和と和平の違いは、あなたもご存知の通りです。
(1) 平和とは、争いの無い「状態」のこと
(2) 和平とは、争っている状態から争いの無い状態へ「遷移」すること
従って、過去に争った実績がなければ「和平」という言葉は生まれません。それでは奈良時代より前に起こった争いを見てみましょう。
(1) 卑弥呼が倭国大乱を経て、倭国を統一して和平が成立した
(2) 白村江の戦いに敗北したことで、和平が成立した
(3) 壬申の乱で、天武天皇が勝利したことで和平が成立した
全て日本語として変。意味が通じないでしょう?
そして平和とは、「争いの無い状態」ですから、
(1) 卑弥呼が倭国大乱を経て、倭国を統一して平和になった
(2) 白村江の戦いに敗北したことで、平和になった
(3) 壬申の乱で、天武天皇が勝利したことで平和になった
変な言い回しもありますが、言葉の意味は通じます。
繰り返しますが、「争った結果、平和になった実績」が無ければ、和平という言葉は生まれません。但し、「話合い」は必須条件ではない。争った結果、互いの力を認め合って、漫画のように和平が成立する可能性もあるでしょう。しかしながらそのような歴史は、私が調べた限り、世界史を含めても皆無。
「話合いの結果、邪馬台国と出雲国に和平が成立した」
「和平」は、この実績に基づいて生まれた言葉だと考えます。いろいろ調べましたが、8世紀までに「争った結果、話合いによって決着した実績」は、これしか見つからないし、思い付きませんでした。
と言うのはウソ!
「争った結果、話合いによって決着した実績」が、もう一つあると考えます。それは倭国大乱の結果。
「卑弥呼が倭国大乱を経て、倭国を統一して和平が成立した」
「倭国大乱の結果、(30余りのクニが)卑弥呼を共に王に立てた」
魏志倭人伝や後漢書東夷伝に記載されてるように、卑弥呼は「共立」されて女王となりました。30余りのクニが話し合った結果、卑弥呼を共に王に立てた。この史実に基づいて「和平」という言葉が生まれたのかもしれません。
もちろん個人の感想、判断はあなたにお任せします。しかしながら、
「話合いの結果、邪馬台国と出雲国に和平が成立した」
ことは間違いないと考えます。そもそもタケミカヅチはアマテラスに、「葦原の中国(=出雲国)と和平が成立した」と、はっきり報告しているのですから。
倭国大乱を経て、倭国を統一した卑弥呼は、「話し合いの大切さ」を知っていたのかもしれません。
「以和爲貴(和をもって貴しとなす)」
超必殺、飛鳥文化アタックを開発した聖徳太子もおそらく、和平を知っていたはずです。話合いによって軍事国家と治水国家間に、和平が成立したことを知っていた。結果、「以和爲貴」。
この言葉、相当なバックボーン(支柱)を持ってないと、そう簡単には宣言できませんよ。
日本国を象徴する「和」。聖徳太子が「話合い」を重要視したのも、過去の実績に基づいたんじゃないかな?
「そうなんですか、太子?」
「わたしを見直したか、小野イナフ」
「イナフじゃない、妹子です!」
太子と妹子を調べると和と仏教の関係、「エンタシス」と呼ばれる、古代ギリシャのパルテノン神殿と同じ支柱構造を用いた法隆寺、1:√2の「白銀比」で構成された五重塔など、非常に興味深いですが、それは別のお話。