| 3世紀に入ると中国では漢が滅び、魏、呉、蜀という三国が分れて争う時代になった。そのうち、魏と親交を結んだ国が日本列島の中にあり、魏からも使者がきた。
3世紀の末に中国で書かれた『三国志』の中に、やはり「東夷伝」があり、日本に関係する部分が魏志倭人伝と呼ばれている。漢字で2000字ほどのこの説明によると、倭の国には3世紀ごろに邪馬台国という強国があって、30ほどの小国を従え、女王の卑弥呼がこれを治めていた。卑弥呼は神に仕え、まじないによって政治を行う不思議な力を持っていた、などと書かれている。 しかし、魏志倭人伝を書いた歴史家は日本列島にきていない。それより約40年前に、日本を訪れた使者が聞いたことを歴史家が記していると想像されているに過ぎない。また、その使者にしても、列島の玄関口にあたる福岡県のある地点に留まり、邪馬台国を訪れてもいないし、日本列島を旅してもいない。 記事は必ずしも正確とは言えず、邪馬台国が日本のどこにあったのか、はっきりしていない。大和(奈良)説、九州説など、いまだに論争が続いている。 |
歴史教科書によると、魏志倭人伝は伝言ゲームの形式で書かれてるんですね。それじゃ不正確な訳だ。が、それ以上に不正確な点がある。ネットで言う、
ソースは?
村人A:
「いらっしゃい、倭国へようこそ」
村人B:
「この国には、卑弥呼という女王様がいるんだ」
村長:
「よくぞまいられた旅の人、わしがこの村の村長じゃ。
卑弥呼について知りたいのか?」
| ⇒ | はい |
| いいえ |
村長:
「ここから東に歩いて3日、南に船で2日、西に歩いて3日、北に船で2日行ったところに、邪馬台国という国がある。その国の女王が卑弥呼と言うのじゃ」
魏の使者は、倭国の誰に話を聞いたんでしょう?
村人AなのかBなのか、はたまた村長なのか、全く分からない。これが魏志倭人伝最大の弱点。
しかしながら中国の歴史書は、年号は信用できる。例えば、島根県雲南市の神原神社古墳から、「景初三年(239年)」という碑文が刻まれた銅鏡が出土しましたね。
西暦239年に、卑弥呼が魏に朝貢したことは事実でしょう。そして神原神社古墳からは、近畿地方で製作された鉄鏃も出土しました。それでは、邪馬台国は近畿にあった!?