巫女と神託

「倭の国には3世紀ごろに邪馬台国という強国があって、30ほどの小国を従え、女王の卑弥呼がこれを治めていた。卑弥呼は神に仕え、まじないによって政治を行う不思議な力を持っていた」

歴史教科書に書かれているように、卑弥呼は神の言葉を伝える巫女だったようです。崇神天皇が神床で神託を受けたのも、魏志倭人伝を書いた人から見れば、

「まじないによって政治を行う不思議な力を持っていた」

のでしょうね。このように魏から見ると、「神託」は異文化の不思議な「まじない」だったのでしょう。そう言えば出雲国には、巫女はいませんでした。ガイドブックに載っている遺跡(=出雲地方の遺跡)からは、骨を焼いて入ったヒビから吉凶を占う「骨卜(こつぼく)」跡は出土してません。古事記には太占(ふとまに)と書かれている骨卜。オオクニヌシから見ても、神託は「不思議なまじない」に見えたことでしょう。

不思議なまじないの正体、個人的には「お天気占い」が主だったと考えてます。稲作が始まった弥生時代、気象予報士がいたとしたら、どれだけ貴重な存在だったことか…

卑弥呼は、お天気おばさんお姉さんだった!

意外と正解かもしれませんよ。
ところで、殺傷痕のある人骨が発見された鳥取県の青谷上寺地遺跡からは、骨卜占いの道具である骨、「卜骨(ぼっこつ)」が出土しています。つまり青谷上寺地遺跡からは、出雲国とは異なる文化遺跡が発掘されてるんです。

出雲神話で、ヤガミヒメはオオクニヌシとの子供を木の又に挟んで帰ってしまいましたね。この部分、因幡国と出雲国との分裂を意味しているのかもしれないと考察しました。
出雲国とは異なる文化を独自ルートで発展させた青谷上寺地遺跡。ここがヤガミヒメの里だったのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です