奈良時代

「大国主命、どうか今の天皇を祟らないでください」

と、古事記に書きこみ、平城京に遷都して始まった奈良時代。大国主の祟りはどうなったのでしょう?
後は歴史教科書を読めば、簡単に分かります。

聖武天皇(しょうむてんのう)の治世(724~749年)になると、疫病や天災がたびたび起こり、土地を離れ逃亡する農民も増えた。
~中略~
聖武天皇は仏教に頼って国家の安定を祈願し、全国に国分寺と国分尼寺を建て、東大寺の大仏をつくる詔を出した。

民衆を襲う疫病や天災は、大物主の心が乱れるためでしたね。三輪山の麓、大神神社の祭神が確定したのは、この頃だったはずです。少なくとも720年以降でなければ、日本書紀に書かれた大物主/大己貴神/少彦名神を祀れない。

同時に仏教に頼ってますね。結果、奈良の大仏を建立した。つまり仏教は、祟りを鎮めるための新兵器だったんです。大物主&大国主、その他いろんな魑魅魍魎の祟りを鎮めるためのスペシウム光線だったのでしょう。

そうでないと、租庸調(そようちょう)という重税を国民に課して、それを湯水のごとく投入して建立した、世界最大の銅像の説明が付かない。
私は特に、大国主の祟りを鎮めるための大仏だったと考えてます。大国主はピンポイントで天皇に祟ってきますからね。

このように聖武天皇は、様々な祟りを鎮めるため仏教の力に頼った。ところがこれが裏目に出てしまう。
歴史教科書の続きを見てみましょう。

8世紀の中ごろから貴族どうしの勢力争いがはげしくなった。また、政治に大きな力をふるった道鏡(どうきょう)のような僧も現れた。このような国政の混乱に対し、桓武天皇(かんむてんのう)は都を移すことで、政治を刷新しようと決意した。
寺院などの古い勢力が根をはる奈良の地を離れ、これまでのしがらみを断ち切った改革を実行しようとしたのである。

新しい都は794(延暦13)年、交通の便利な今の京都の地につくられた(平安京)。この都は明治維新ののちに都が東京に移るまで、約1000年もの長い期間にわたって存続した。なお、平安京への遷都から鎌倉に幕府が開かれるまでの約400年間を平安時代とよぶ。

道鏡というのは、自らが天皇になろうとした仏教徒です。この時、「宇佐八幡宮神託事件」というイベントがあったのですが、調べてみると大変面白い。後で見てみましょう。
とにかく道鏡は、天皇になろうとした。仮に道鏡が天皇になってたとしたら、神武天皇から続く(とされる)、天皇の血が途切れてしまいます。天皇家にとって、道鏡事件は最大の危機でした。

もうお分かりですね。大国主は天皇家に祟ってきます。
仏教の力に頼ったことによって、大国主の祟りはパワーアップしてしまったんです。結果、

「遷都!」
仏教の勢力が蔓延る奈良盆地から完全に脱出。都を京都に移し、鳴くよウグイス平安時代が始まりました。
ちなみに遷都した桓武天皇は、天智天皇のひ孫です。天武天皇系が支配した奈良時代から天智天皇系へ再び移行、同時に都も平安京へ遷都されました。

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