大王と豪族

それにしても卑弥呼とは「日巫女」、アマテラスだとは夢にも思ってませんでした。全ては頭を白い紙にして考えた結果です。

「しかし大和王権の大王は、蘇我氏などの豪族に手を焼いたじゃあないか。物部氏だけを服従させただけで、出雲国を攻められるか?」

昔の自分なら、こうツッコミます。たしかに蘇我氏の横暴を封じるのは、645年の大化の改新まで待たなければなりませんでした。さらに、全ての中央豪族の力を抑えられたのが672年の壬申の乱。

大和王権時代の豪族は、水木先生が調査されてます。「水木しげるの古代出雲」には、こんな豪族分布図が描かれています。

これでは物部氏だけを服従させても、大王の思い通りにはならないでしょう。そこで、各豪族を調べてみました。

まずは蘇我氏。古事記に出てくる武内宿禰(たけしうちのすくね)を祖としています。武内宿禰とは、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたとされる忠臣。つまり初代神武天皇が橿原の地を制した時、蘇我氏は存在しなかったんです。

同様に平群氏(へぐりうじ)、ミサトさんのご先祖様かもしれない葛城氏(かつらぎうじ)も、武内宿禰を祖としています。

巨勢氏(こせうじ)は、武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)が始祖。
秦氏(はたうじ)は第15代応神天皇の時代、百済から日本に帰化した弓月君(ゆづきのきみ)を祖としています。

和珥氏(わにうじ)の始祖は、第5代孝昭天皇の長男、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)。

以上のように神武東征時、奈良盆地に存在した豪族は物部氏だけ。
例外が大伴氏(おおともうじ)。大伴氏は天忍日命(アメノオシヒノミコト)の子孫。本書では省略しましたが、ニニギノミコトのお供をした、天孫降臨時に初登場したアメノオシヒノミコトを祖としています。イワレヒコと一緒に東征した、道臣命(ミチノオミノミコト)の子孫が大伴氏です。つまり大伴氏は、大王の懐刀。

以上のことから神武天皇の時代、奈良盆地の豪族分布図はこうなります。

これなら神武天皇は、物部氏を服従させるだけでいい。時代が経つにつれ、おそらく4世紀ごろ豪族たちは誕生、次第に勢力を増したのでしょう。

これで本書の目的である、弥生時代終末期に何があったのか、明らかにしたつもりです。
だが、気になることが1つある。それは大物主の正体。

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