オキナガタラシヒメ(神功皇后)は、大鞆和気命(オオトモワケノミコト)、別名、品陀和気命(ホムタワケノミコト)を生みました。大鞆和気命と呼ばれる理由は生まれた時、鞆(とも)のような肉が腕についていたからです。このため胎内にいた時から、国を定める人と決まってました(原文:腹中定國也)。
冒頭からツッコまなければなりません。
オオトモワケは、生まれる前から天皇になることが決まってたんだってさ。
仲哀天皇には、(省略しましたが)他にも子供がいたと言うのに。
いきなり結論から入る稗田阿礼、アクセル全開です。
仲哀天皇は、筑紫の訶志比の宮(かしいのみや、福岡県福岡市東区あたり)に滞在し、熊曽の国を撃とうとしてました。
熊曽の国、熊襲のことです。ヤマトタケルが熊襲を征伐したのは、第12代景行(けいこう)天皇の時代でしたね。その熊襲を第14代仲哀天皇は撃とうとしてたんだってさ。
結論は2つに1つ。
(1) ヤマトタケルは熊襲征伐に失敗していた
(2) 仲哀天皇は(ヤマトタケルが熊襲征伐に成功していたので)、別の目的で福岡まで来ていた
歴史教科書には、(1)が正解と書かれてます。
| (奈良時代)東北地方には蝦夷と呼ばれる人々、九州南部には熊襲または隼人と呼ばれる人々がいて、古くから大和朝廷に服従しなかった。しかし律令国家が順調に進展するにつれ、北も南も次第に平定が進み、琉球諸島の最南端の信覚(しがく:石垣島)や球美(くみ:久米島)の人々も、早くも8世紀初頭に平城京を訪れ朝貢した。 |
古事記の続きを見てみましょう。
ある夜、神託を受けるため、仲哀天皇は琴を弾きました。武内宿禰(たけしうちのすくね)が横に座ります。
じーさん、あんた一体何歳だ?
武内宿禰とは、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたとされる忠臣。古事記には、第8代孝元天皇(こうげんてんのう)の孫と書かれてます。
おそらく武内宿禰に象徴される、天皇の執事的な役割を持っていた氏がいたのでしょう。
神功皇后は神がかって、以下のように言います。要するに、卑弥呼のようにトランス状態になって言いました。
「西方に国が有り、その国には金銀がある。炎のように輝いて見える珍宝が多数ある。私はその国に行こう」
「えっ!?」
仲哀天皇は戸惑います。
「我々は南九州の熊襲を征伐するために福岡まで来たってのに、(奈良盆地から見て)西方に行けってどゆこと?」
琴を弾く仲哀天皇の手が止まります。
武内宿禰は天皇に進言します。
「いけませぬ、琴をお弾き下され!」
仲哀天皇はしぶしぶ琴を弾きます。
プチーン!!
急に、琴の音が途切れました。
武内宿禰は、灯りをともします。
「死んでる…」
仲哀天皇は崩御されてました。
どう見ても暗闇殺人事件です。本当にありがとうございました。
この後、武内宿禰は神功皇后に憑依した神命を請います(原文:請神之命)。
「この国は、神功皇后の腹にいる子が統治されるべき国である」
「それでは神功皇后のお腹にいるお子さまは、君たち女の子、僕たち男の子、どちらですか?」
「男の子」
「あなた様は一体?」
「アマテラス(原文:天照大神)の御心である」
アマテラスの御心が「神功皇后のお腹にいる男の子が天皇になる」と予言してくれたんだってさ。アマテラスは何故、神功皇后の息子、まだ生まれてもいないオオトモワケを天皇に選んだ?
繰り返しますが、仲哀天皇には他にも子供がいました。が、アマテラスの御心には逆らえなかったでしょうね。
| コラム:天照大御神と天照大神 話は脱線しますが、面白いことに気づきました。 古事記上巻(神代記)は、アマテラスは「天照大御神」と書かれています。ところが中巻(人代記)に入ると「天照大神」と書かれてるんです。そこで大御神と大神、何か違いがあるのか、整理してみました。 まず大御神、「神様の中の神様」という意味でしたね。神代記、神話の中でも特別な神様という意味でした。それで大御神は、天照大御神(アマテラス)、迦毛大御神(アジシキタカヒコネ)、伊邪那岐大御神(イザナギ)の3神。
この3神です(他にも大神がいますが後述)。出雲大神がオオクニヌシであることは、口がきけなかったホムチワケが出雲大神を参拝した後、 お分かりでしょうか? 「神功皇后のお腹にいる男の子が天皇になる」 と、予言してくれましたとさ。何だか、意味深ですねえ… |