建波邇安王の反乱

この後、崇神天皇は大毘古命(おおびこのみこと:第8代 孝元天皇の第1皇子)を越の道(北陸地方)に派遣します。またその息子、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を東方十二道(東方の12国。倉野先生によると、伊勢/尾張/参河/遠江/駿河/甲斐/伊豆/相模/武蔵/総/常陸/陸奥)に派遣、服従しない者たちを平定します。以降はダイジェストで紹介。

大毘古命は、越の国で女の子の歌を聞き、崇神天皇の危機を察知します。どうやら、崇神天皇の兄、山代國(山城国)の建波邇安王(たてはにやすのみこ)が反乱を起こそうとしているらしい。
そこで大毘古命は、日子國夫玖命(ひこくにふくのみこと)を副官として、建波邇安王を撃ち取りました。要するに、

「崇神天皇の時代、北陸地方をはじめとして、東方の12国(中部/関東/東北)まで支配下に収め、さらには皇位継承争いまで起こった」

ってこと。

コラム:建波邇安王の反乱
本項は省略するつもりでした。大国主の国譲りとは、何の関係も無いから。
しかしながら、気になる言葉が記載されてました。

「この後、崇神天皇は大毘古命を越の道に派遣します。またその息子、建沼河別命を東方十二道に派遣、服従しない者たちを平定します」

と書きましたね。原文は、

又此之御世 大毘古命者遣高志道 其子建沼河別命者 遣東方十二道而
令和平其麻都漏波奴(自麻下五字以音)人等

またこの御世に、大毘古命を高志道に派遣し、その子建沼河別命を東方十二道に派遣させました。その麻都漏波奴(まつろわぬ:この5文字は音仮名です)人々を、やわさしめました。

和平(やわ)さ令(し)む、これを私は「平定します」と意訳しました。
令和平(やわさしむ)。やわさしめられた(=平定された)のは、まつろわぬ(服従しない)、東方十二道の人々です。

「令和」という元号は万葉集から引用されたそうですが、名付けた人は、日本最古の文章に「服従しない人々を平定した(令和平)」と書かれていたことを知っていたのでしょうか?
知ってたとしたら、確信犯ですね。

 

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