さて、山幸彦が行った魚鱗で造られた海底宮殿。浦島太郎のベースとなった、この神話。海底宮殿とは何処なんでしょう?
稗田阿礼は、地名ははっきり明記しています。
出雲をはじめとして、筑紫の高千穂の日向、越の国、美濃国、信濃国等々。
きっと海底宮殿という「地名」を創作したのには、何か訳があるな。
そう考えて思いついたのは外国。当時の外国と言えば、朝鮮半島か中国大陸にあった国です。私は任那を連想しました。任那は大和王権が、やたらと朝鮮半島進出を画策してた拠点だったから。調べると、
「任那日本府(みまなにほんふ)は、古代朝鮮半島にあったとする日本の出先機関である」
任那日本府が実在していたことは、物的証拠から明らかです。
朝鮮半島南部に前方後円墳があり、そこから北陸地方でしか採れないヒスイの勾玉も出土しています。
もちろん任那日本府があったのは古墳時代。西暦562年まで存続しました。
ひょっとして海底宮殿とは、ここか?
任那日本府の前、弥生時代、朝鮮半島南部にどんな国があったんだろう?
調べてみると「弁韓(べんかん)」という国がありました。弁韓、どんな国だ?
魏志倭人伝があるのなら、「魏志弁韓人伝」もあるのでは?
と思って検索したらビンゴ!
「魏書弁辰伝」という書がありました。それによると、
| 弁韓は土地は肥沃で、五穀や稲の栽培に適していた。蚕を飼い、縑布(目を緻密に固く織った平織りの絹布)を作った。大鳥の羽根を用いて死者を送るがそれは、死者を天空に飛揚させるという意味であった。 鉄の産地であり倭、濊(わい)などが採掘していた。市場での売買では鉄が交換されており、それは中国での金銭使用のようであった。 また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていたとある。武器は馬韓(ばかん:後の百済あたりに存在した国)と同じであった。礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った。 |
下線部にご注目。記紀に詳しい方は、ご唱和ください。せーの、
それって何てヤマトタケル?
記紀をご存知の方は、私と同じくヤマトタケルを連想したでしょう。
ヤマトタケル(日本武尊)、古事記の第2巻 (中巻)に出てくる英雄(?)です。
ヤマトタケル神話を簡単に見ておきましょう。