宇陀に兄宇迦斯(エウカシ)、弟宇迦斯(オトウカシ)という、2人の兄弟がいました。
八咫烏が2人の兄弟に尋ねます。
「お前たち、イワレヒコ様にお仕え申すか?」
「何だ、その『上から目線』。帰れ!」
エウカシは鏑矢(かぶらや)を射て、八咫烏を追い返しました。
ちなみに、鏑矢の落ちた地を訶夫羅前(かぶらさき:場所不明)と言うらしい。
そしてエウカシは戦闘態勢を整えるため、軍勢を整えようとしましたが人が集まらない。
そこでエウカシは、宮殿を作ってイワレヒコ軍団を迎えることにしました。
その宮殿には、人が入ると天井が落ちてくるという、ドリフのコント並みの仕掛けが施されてました。
弟のオトウカシは、イワレヒコに進言します。
「兄は宮殿に天井が落ちる仕掛けを施して、あなた様を殺そうとしています」
そこで大伴連(オオトモノムラジ)の祖、道臣命(ミチノオミノミコト)、久米直(クメノアタイ)の祖、大久米命(オオクメノミコト)がエウカシに迫ります。
ここで初めて、イワレヒコ軍団の正体が明らかになります。ミチノオミとオオクメという軍団を引き連れてたのですね。
「お前が作った宮殿なのだから、お前が先に入ってお仕えしようとする証拠を示せ!」
ミチノオミとオオクメは、刀に手をかけエウカシを追い詰めます。
が、エウカシはなかなか宮殿に入ろうとしない…
痺れを切らせた、オオクメ軍団の1人が手を上げます。
「そんなに入りたくないんなら、オレが入ってやるよ!」
「いや、オレが先に入る!」
「オレも、オレも!」
次々とオオクメ軍団が手を上げました。
仕方なく、エウカシも手を上げます。
「そっ、それでは私が先に入りましょう」
どうぞどうぞどうぞ!
お約束通りエウカシは、天井の下敷きになって死んでしまいました。
エウカシを引き摺り出して斬り散らします。このため、この地は宇陀の血原(うだのちはら)と言うらしい。
調べてみましたが、「宇陀の血原」は何処なのか特定できませんでした。奈良時代の人は、
「ああ、あそこか」
と、分かったかもしれませんが…
オトウカシは宴会の席を設けます。
これまで闘いの日々が続きました。イワレヒコ軍団は盛り上がります。
「団長、一杯どうぞ!」
「団長って言うな。自分たちの時代、まだ拳銃は無いんだぞ」
「それではデカ長、乾杯!」
「だから話を古事記に戻せってば!」
イワレヒコ軍団は歌い出します。
宇陀の山に鷸(しぎ)を獲る罠を張って待ってたら、クジラが捕まってやんの!
古妻(こなみ)が肴をねだったら、実の無いところをくれてやれ!
後妻(うわなり)が肴をねだったら、実の多いところを与えてやれ!
はぁはぁ、酔っ払っちまったけど今宵は飲むぞ!
嘲ってやる、ザマァ!
あまりお行儀のいい歌ではないですけど、よほど嬉しかったんでしょう。
とにかくこれでオトウカシは、宇陀の水取(宮中の水の管理)の祖となりました。
要するに、九州からやって来た集団に、一部の人は畏れ奉り、一部の人は抵抗したってことです。
イワレヒコ軍団は、さらに進軍します。忍坂(おさか)の大室(おおむろ)に到着した時、またまた尻尾の生えた、土雲(つちぐも)というたくさんの集団が、村(原文:室)で待ち受けてました。
| 考察: 尻尾が生えている。はっきり言って見下した表現ですね。関係ないとは思いますが、「土雲」と「出雲」、漢字の形が似てます。「土」から4本の「草」が生えたら「出」という文字になるなんて草! ところで、イワレヒコ軍団は熊野の人たちに助けられたと考察しました。もちろん、こんなことは書けない。昔から紀伊半島に住んでいた人たちを「尻尾が生えている」と見下しているのだから。 |
イワレヒコは宴会を開きます。そして土雲1人1人に、部下を料理人(原文:膳夫)としてあてがいます。
「オレの歌を聞いたら、一気に殺れ!」
やがてイワレヒコは歌います。
「忍んで来た坂に集落があった。1人1人にあてがったオオクメ軍団。お前たち、頭椎(くぶつち)、石椎(いしつち)の刀で、撃てい!」
土雲たちは、一気に殲滅されます。
イワレヒコ軍団は、「忍坂の大室」に存在した集落を襲撃したんです。これは仕方のないこと。
補給線の無いゲリラ部隊は、どうしても集落を襲う必要があります。補給線とは、最前線で戦う部隊に武器や食料を届ける、後方支援のこと。
それが無いイワレヒコ軍団は、集落を襲って食料を調達する必要があったんです。
このように、相手に酒を飲ませて油断させ、一気に殲滅するのは常套手段。世界史を見れば、枚挙に暇がありません。
「それじゃ、八塩折の酒を飲ませて退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も、斐伊川の象徴ではなく、スサノオが滅ぼした一族の象徴ではないのか?」
こう指摘されたのは、他ならぬ水木先生。先生は、「オロチを奉じるタタラ族」が滅びる姿を想像して描かれています。
しかしながらこれではスサノオとオロチ、特にオロチを「デフォルメ」した説明が付かない。スサノオとオロチは、文字通りゴジラとキングギドラ。とても大きな「怪物」として書かれてます。「土雲」という等身大のスケールではない。
八岐大蛇神話は、やはり「斐伊川の治水」という怪物的スケールの物語と考えます。
イワレヒコ軍団が土雲を殲滅した後、登美毘古(トミヒコ:ナガスネヒコのこと)を撃とうとした時、詠んだ歌がこれ。
「多くのオオクメ軍団が、草木一本たりとも残さず引っこ抜いて、根絶やしにするぞ!」
「多くのオオクメ軍団が、垣下に植えた山椒は辛いと言った。その辛さを忘れるものか。さあ撃つぞ!」
「神風が吹く、伊勢の海に張り付いている細螺(しただみ:貝の一種)のように、這い回って撃とう!」
歩伏前進か?
さらにこんな歌を詠みます。
「兄師木(えしき)を撃ち、弟師木(おとしき)にもてなされた時は、本当に疲れた(原文:擊兄師木弟師木之時御軍暫疲)」
「伊那佐の山の木々をすり抜けて戦ってきて、私は飢えている。鵜飼の友よ、助けてくれ!」
オトウカシに宴会の席を設けてもらったのに、飢えてるんだってさ。
そりゃ次々と集落を襲っても、満足な食料を得る保証は無いからねえ。
これらの歌が、神武東征の本音を表してますね。
それにしても鵜飼の友、ニエモチノコは助けてくれたのでしょうか?
とにかくここで邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)が参上、イワレヒコに言いました。
「天つ神の子が降臨されたと伺い、私も降りて参りました。天津瑞(天つ神の印)を献上し、お遣え申し上げます」
ニギハヤヒノミコト、唐突に現れた神様も、天から降臨したんだってさ。
前にもオオクニヌシの国譲りの時、唐突に現れた天津国玉(アマツクニタマ)という神様がいましたね。8年経っても戻らなかった、天若日子(アメノワカヒコ)の父親です。
それと全く同じパターン!
ニギハヤヒはトミヒコ、すなわちナガスネヒコの妹、登美夜毘売(トミヤビメ)を妻としてました。そして生まれた子が、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)。これが物部氏の祖先となります。
何故、ニギハヤヒを稗田阿礼が創作したのか、見え見えですね。
物部氏の祖先、要するに奈良盆地でイワレヒコに服従した人々を謳ったんです。
こうしてイワレヒコは荒ぶる神々を平定、服従しない者を撃ち払い、畝火(うねび:畝傍山)の橿原(かしはら)の宮で天下を治めました(原文:坐畝火之白檮原宮治天下也)。
これが神武東征です。
あれっ、アレが無いじゃん!
記紀に詳しい方は、お気づきでしょう。
そう、アレは古事記には書かれてません。日本書紀に書かれてるんです。