青谷上寺地遺跡

最後に青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡。
この遺跡に触れる必要は無いと思ったんですけど、「弥生の地下博物館」と言われてるので、見ておきましょう。
この遺跡、かなり特殊なんです。例によって道路工事の途中、偶然発見されました。
以降、青谷上寺地遺跡展示館のHPをダイジェストで参照します。

青谷上寺地遺跡は、鳥取県鳥取市青谷町の西側を流れる勝部川と東側を流れる日置川の合流点南側にあたり、日本海にほど近い平野部に位置しています。

かつての青谷平野は潟湖(ラグーン)が広がっており、そのほとりの低湿地帯に約2200年前より集落がつくられるようになります。そして1700年前の古墳時代前期に急速に衰退するまでの約500年間、この地を生活の場としていました。

集落の中心域のまわりを排水用の大きな溝で囲んでおり、溝は徐々に東側に拡張していきます。この溝は大きな板や多数の矢板を打ち込む、大規模な護岸工事が行われています。東側の溝からは100体をこえる人骨が発見されました。西側の溝では、お祭りの場が見つかっています。集落中心域の内部には、土壙(どこう)と呼ばれる用途不明の穴や、建物の柱跡となる穴があります。

出土品には多量の土器や石器をはじめ、精巧な木製容器、農工・漁撈具、鉄製工具などの多種多様なものが見られます。遺跡が低湿地にあり、水分を大量に含んだ土の中で、遺物が真空パックされたような状態で眠っていたため、その残り具合はたいへん良く、当時どのように使われていたかを知る上でも、きわめて貴重な資料といえます。

海と山に囲まれた青谷上寺地遺跡では、稲作だけではなく漁撈や狩猟を盛んに行って、生活のかてを手に入れていたことが分かります。それは多くの農工具や漁撈具、獣骨、貝塚などが物語っています。

さらに青谷上寺地に暮らした弥生人は、他の地域の人々と盛んに交流をしていました。北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しています。石材も青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなども使われています。

500点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴を持ったものが見られます。また、古代中国の鏡やお金「貸泉(かせん)」も出土しています。これらの遺物から、日本海を舞台とした交易や、中国山脈をこえた交流などが行われていたことが推測できます。また、北陸・島根からは、青谷上寺地との技術的な交流をうかがわせる花弁高杯が見つかっています。

青谷上寺地遺跡は日本海側に点在する潟湖(ラグーン)のほとりに位置し、天然の良港として漁撈活動や対外交易を行い、航海技術に長けた人々が住んでいたと考えられています。この航海技術をもとに、海を介した他地域との交流を盛んに行う中で、モノや技術などが行き交う「港湾拠点」として機能したと推測されます。

集落中心域の東側からは約5300点、人数にして約109体分の人骨が見つかっており、時代も弥生時代後期(約1800年前)のものです。このうち110点、人数にして10数人分の人骨には殺傷痕があり、何らかの争いがあったことが考えられます。また、日本最古の結核の症例となる、脊椎カリエスも確認されました。

さらに驚くことに、日本最古となる弥生人の脳3点が奇跡的に見つかりました。世界でもわずか6例しかないもので、世界的にも貴重な資料といえます。

青谷上寺地遺跡は弥生時代の人々の生活だけではなく、技術のすばらしさ、人骨や脳が残存していたことなど、様々な分野で注目を浴びる遺跡だといえます。

下線は私が追加しました。下線部をまとめると、

(1) 古墳時代前期(3世紀後半)に急速に衰退した
(2) 大規模な護岸工事が行われていた
(3) 航海技術に長けた人々が住んでいて、中国・朝鮮半島・北部九州・北陸・近畿・山陽と交流を持っていた
(4) 109体の人骨が見つかり、その内10数人分の人骨には殺傷痕があった。時代は弥生時代後期

私的には、(1)と(2)で十分です。
(1)から大和王権の介入があったことは明らかですし、(2)からオオクニヌシの介入があったことも想像できます。
気になるのは(4)。殺傷痕は気になりますね。実際に見てみましょう。

何でしょう、これ?
発掘された人骨が生きていた時代は弥生時代後半。つまり2世紀後半。
はじめはオオクニヌシの国譲りに関係していると思ったのですが、時代が合わない。国譲りは他の遺跡から、3世紀 (西暦250年頃)だったことは分かってます。
青谷上寺地遺跡から、「倭国大乱(わこくたいらん)」の証拠と考える研究者も少なくないようです。
倭国大乱とは2世紀後半、倭国で起こったとされる争乱のこと。後述しますが、魏志倭人伝や後漢書東夷伝に記載されてます。

前述のように私は、この集落が古墳時代初期、急速に衰退した(=滅んだ)ことが分かっただけでOKなんですけど、あなたは気になりますよね。
そこで本遺跡の詳細資料、奈良文化財研究所のHPにある「青谷上寺地遺跡4」という調査報告書を、ロンドンのベーカー街221番地Bに送っておきました。
後は、シャーロック・ホームズに推理してもらいましょう。

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